反カランダ組織「フェンリル」。その創始は今から遡ること十年にもなる。建設者はカゼルと言う男で、的確な判断力と剛胆な精神の持ち主で、優れた人格の男であった。彼の元でフェンリルは拡大を遂げたが、もともと披支配地域の反発から生まれた組織であって、二つの反カランダ派が存在した。妥協派と強行派である。
妥協派はカランダの中央集権制に反対し、披支配地の内政自治を確保するのを交渉しようという派だった。一方、強行派はカランダに生地を追われた人々からなり、とかくカランダの転覆を計る集団だった。
創始者かつリーダーであったカゼルはカランダに生地を奪われた地方有力者で、後者に付きそうなものだったが、彼の野心の欠如と的確な判断力はフェンリルにカランダ転覆の力が無いと言うことを知ってか、妥協派であった。
それが、フェンリルに分裂を呼んだ。強行派のリヒターらとカゼルらは争い、カゼルらは引退に追いやられた。カゼルの人望をフェンリルの者達は、そうアーディルらは悔やんだ。三年ほど前の事である。
が、カゼルは一人の養子が存在し、その名をファーニアと言った。戦災で孤児となった少女であった。美しきその少女はカゼルの側で成長を遂げ、剣の腕と養父の人格に勝るとも劣らない大人に成長した。そして、彼女は養父の引退後、去る者が多くなった妥協派の中心となった。剣とその人望の厚さは彼女の養父以上と呼んではばからなかった。何時しか、彼女を人は英雄と呼ぶようになった。
彼女はのち、単身カランダの王宮へと向い交渉に出た。フェンリル内で立場の悪い妥協派に最後に残された機会だったのかも知れない。ファーニアは意を決して自ら王、ラッツウェルに会談を申し込んだのであった。
が、その会談は実現されていない。記録にはファーニアなる者が訪れたと言う記録もない。
人はそれをリヒターの陰謀であった、カランダの奸臣の暗殺であった、などと噂した。最も、それはいずれも正鵠を射ていなかったのだが……
それは、二年前の事である。
ジークは久しぶりに自らの生活が充実していると満足気にアーディルに話したものである。
「おまえも時々だが、いいことをするなあれはなかなか筋がいいぜ」
その話の題材とはセレナの事である。ジークは彼女に剣を教えているのだが、彼の方がセレナの剣術の呑込みの早さに舌を巻いていた。見張るべきは運動神経の良さである。それにはいわくがあった。
彼女は森深くの山村生まれだった。小さなその村では人口が少なく、それに比例して子供の人数も少なかった。子供達は大きいものも小さなものも年齢に関係なく、同じように一緒に遊んだものだった。同年齢の人間が少ないからだ。やはり、そこには体力差があるので、小さな子供達は大きな少年達に付いて行くことで自らの体力を強化した。それは男も女も同じである。
さらに彼らの遊び場所となれば山や森が彼らの遊び場であり、その中で走り歩くことは身体を敏捷にさせ、運動神経を増幅させた。事訳、足腰の強さは街の子供に比べてかなり成長が早かった。
そのためかセレナの身体能力は高く、ジークの予想をはるかに越えた早さで剣術を体得していた。これが美しい美少女なのである。彼の心が弾まないはずがなかった。もっとも、セレナはジークの女性用投網にかかるには少し年齢が足りなかったが。
訓練を初めて二週間もたてば、セレナはミナと打ち合いが出来るまでに成長していた。さすがにアーディルやジークとでは体格や力が違いすぎたから、ミナが調度良かったのだ。ミナとてそれは同じであった。
アーディルは昼間は外に出ることがほとんどであったため、セレナをジークに任せていた。それはアーディルがジークを信頼していると言うことであり、それはすでに暗黙の了解事項だった。
結局、セレナはジーク、ミナと三人で日々を送っていた。訓練の合間に食事や会話が行われていた。セレナの料理のうまさはアーディルやジルが手放しで賞賛したように特上の物だった。ジークはそれに感嘆し、ミナはセレナに料理を教わろうとしたが、数日で挫折した。ミナは自分に料理の才が無いことに気を落としていたが、次の日になればそれは忘却の彼方にあった。
ある日、セレナがジークにこう問いを投げた。
「ジークにとってやっぱり剣は生きがいなの?」
ジークの剣の知識、腕、どれをとっても超が付く一流で、そう思ってもなんら不思議はなかった。が、ジークはにやりと笑って、
「ちがうな。人生の主食は酒と女さ。剣なんてものは……まあ三時のおやつくらいかな?」
「くっだらない信念!」
何処までが本気なのか分からないジークの言葉に、間髪置かずに反撃したのはミナだった。彼女の祖父はジルで知る人は知る毒舌家であったが、やはりその血を彼女も引いていた。
「まあ、くだらないと言えばくだらないが、くだらないものだけじゃ生きていけれないが、くだらないもののない世界で生きて行きたくはないね」
ジークはシニカルな笑みを浮かべてミナにささやかな反撃をした。彼の言うことはもっともだろう。人生全てを真面目に生きる人間がこの世にどれだけ存在するのか。数えたところでさして骨を折るような数字ではあるまい。
そんな具合いな会話が彼女らの間で続けれられていた。
セレナがフェンリルを訪れてから一カ月弱が経って、ミナ達ともすっかりなじんだ頃にラルフ達がフェンリルを頼ってきていた。
「なるほど、ルシア様はカランダに反し、我らの味方に付いてくれると申されるのだな? いや、多いに歓迎する。味方は一人でも多い方が心強い。それも名声高いアムル公国のルシア公女ともなると……」
「では、協力してくれるのですね?」
ラルフは慎重な言葉遣いで伺った。リヒターもうなずく。そこにはフェンリルの幹部らとアーディル、ジーク等もいた。セレナとミナもアーディルにひっついて部屋の脇だが存在していた。と言うよりも、セレナはリヒターに呼び出されていたのだ。リヒターに警戒心を抱くアーディルやミナはセレナから注意を放さなかった。
「とりあえず、部屋を用意しよう。それから、セレナ」
「あ、はいっ」
リヒターが急に視線を向けたのでセレナは全身の筋肉をわずかに硬直させてリヒターの視線を受け止めた。ラルフ達もセレナに視線をやり、その希有なる緑の髪に見入った。
「剣術の修行中だが悪いが、行ってみてもらいたいところがある」
「行ってみてもらいたい所?」
「そう。コルア島と呼ばれる島でな。無人島なのだが、そこにガイアにまつわるほこらがあるとの情報が入ってきている。さらに、これは不確かな情報でしかないのだが、ファーニアがカランダ城へ入った後、コルア島へ行ったと言う噂なのだ。それを確認して貰いたい。彼女が生きているならばフェンリルに大きな力となる」
セレナはあからさまに怪訝そうな顔をしてしまった。彼女はファーニアの事をジークらとの会話で知っているのである。感情がそのまま表情になると言うことはまだ若いという証拠である。リヒターは苦笑した。
「ははは。知っているのか? 俺とファーニアが争っていたと言うことを。まあ、それは事実だが、所詮それはフェンリルと言う組織内での思想の違いと言うだけさ。フェンリルにとってファーニアは有力で将来性を持った人物だ。俺とて、彼女を失ったままでいるのは大きな痛手となるさ」
リヒターは笑って応えたが、その彼の真意をセレナは探ろうとした。が、セレナの若さ故の洞察力不足か、リヒターの老かいな技術なのか、彼女にそれを見極めることはできなかった。
「で、コルア島は何処に在るんですか?」
「うむ。このヴァルハナ市から更に北へ進み、ヴァルハナ街道の終着地点のマリッファと言う町がある。そこから船で出たところにあるそうだ」
リヒターは簡単な説明をした。セレナに詳しく伝えたところで、ライゼルの山奥で育った彼女は地理的知識は乏しいので余り役にたたなかった。リヒターもそれを知ってか、セレナには簡潔な説明で済ませ、旅慣れたアーディルに詳しい説明をした。アーディルがセレナの旅に同行するのは当然だったからである。
が、アーディルもマリッファの町の存在は知っていたが、コルア島の存在は知らなかった。
「マリッファと言えば、ガルド、あなたの故郷じゃない?」
「え? ええ、そうです」
「じゃあ、ガルド。あなたが……えと、セレナだっけ? 彼女の案内をすればいいんじゃない?」
ルシアは相も変わらず軽い調子で話した。
「しかし、私はルシア様の護衛をしないと」
「じゃ、名案があるわ。私も彼女らに付いて行く。そうすればガルドは私を護衛しつつ、セレナ達の案内もできるわ」
これは詭弁だろう。ルシア自身もそう思わざるを得なかった。
「そんな。危険じゃないですか? そりゃ……」
「そうかしら? まさか逃亡した公女がその辺をうろうろしてるなんてちょっと考えられないでしょ? 燈台の元暗しってやつよ」
ラルフの心配をルシアはあっさりと笑いで受け流した。実の所、彼女はうずうずしてたまらないのである。元々、行動派だった彼女は三年以上も王宮の中から一歩も出ることを許されなかったのである。それが今、弾けていると言っても語弊はない。
「なんか、また厄介なことになりそーだぞ」
アーディルは小声で自嘲気味につぶやいた。それを聞き止めた地獄耳のミナがからかうように言った。
「いいじゃない。大勢いた方が楽しいと思うよ。もちろん、アーディルが行くなら、私も行くからね」
「何? お前も行くのかよ」
アーディルがミナとの会話でがっくりと肩を落としている間にリヒターが話を付けていた。
「ともかく、セレナ達には明日にも旅立って貰う。アーディル、セレナを頼んだぞ。それと、ガルドさんはルシア様の護衛と道案内を」
「はあ」
「承知」
ガルドは騎士らしく短く鋭い言葉で返したに対し、アーディルの方は気の抜けた炭酸のような返事で返していた。
「じゃあ、明日のためにお弁当でも作って置きますね」
セレナがそう無邪気に言ったが、アーディルの心は晴れなかった。
「おいおい、ピクニックじゃないんだぜ」
「そうだな。ピクニックってやつはもっと計画的にやるもんさ」
ジークの見事な切り替えしに笑いが漏れた。
その笑いの中で一人、蚊帳の外に居たものがいた。ファティマである。彼女はジークの皮肉にうっすらと薄い笑いを浮かべただけで、荒く不確かな息をしていた。
「ファティマ? どうしたの?」
異変に気付いたルシアが心配そうにファティマの顔をのぞき込んだ。見るとファティマは小さな口で荒く息をしながら、青い顔に脂汗をいくつも乗せている。瞳は輝きを失って虚ろだった。
「なんでも……ない……」
ファティマはけなげに皆を心配させまいと強がろうとしたが、その途端に後ろにバランスを失って崩れ落ちた。
「あっ!」
ファティマの後ろにいたシレーヌは慌ててファティマの身体を抱き止め、口を半閉じに、目を半開きにしているファティマをのぞき込んだ。
「あ……あれ?」
ファティマは微かに微笑んでいるようだった。自分が信じられない、と言う声を微かに聞き取れるレベルの声でつぶやいていた。
「ファティマ。どうしたんだ?」
ラルフも心配そうに駆け寄った。だが、ファティマにはもう反応するだけの力が残されていなかった。息だけが荒く、彼女を動かしている。
「医者よ! それか、魔法が使える人! ここにいないの?」
シレーヌは長い間旅を続けている人間らしく即座に判断を下して、場の人間に反応を求めた。だが、リヒターを初め、フェンリルに魔法を使える人間も、医術の心得がある人間もほとんど居なかった。が、
「少しなら魔法の心得があります。ただ治癒魔法の方はロクに出来ませんけど、一応診てみます。リヒターさん、速急に医者を呼んで下さい」
「セレナ、おまえ魔法が?」
アーディルが驚いてセレナを見ていた。セレナは小さく微笑んで頷くと、
「母は村の魔法使いで、私も母から少し、学んだ事があるんです」
セレナはラルフ達の横で横たわるファティマの側で膝まづき、額に手をやり、次に喉、胸を順に触ってみて、その容態を調べた。
「風邪じゃないみたいですね。呪いでもないみたいだし……過労の線が強いです」
「過労?」
ラルフが怪訝そうに問いた。もし、過労ならば責任は彼にあるだろう。旅のペースは彼が作っていたからだ。ルシア達をカランダ市から一刻も早く遠ざけるために、かなりの行程でヴァルハナへと足を運んだのである。
「ええ。でも、リヒターさん、本職のお医者様に見て貰った方が……」
「わかった。すぐに手配する」
リヒターは頷き、その部屋から退出して行った。
「あは……私、迷惑かけてますね……」
セレナの体力増強の魔法を受けていたファティマは少し魔法の効果があったのだろうか、うっすらと瞳を開けてラルフにつぶやいていた。
「ばか。どうして疲れているなら疲れているっていわなかったんだ。もう少し、おまえの足も考えてやれたのに」
ラルフはファティマに対して怒ることはまず無かったが、このときは表情に怒りがあった。無論、それはファティマが倒れたせいではない。どちらかと言うと、彼の怒りは彼自身に向いているのかも知れない」
「でも、姉さんが……」
「ばかね、そんなの関係ないじゃない」
ルシアは心配そうにファティマをのぞき込んでいた。それはやはり、姉の顔だった。彼女にはそれが遠い過去に忘れた何かを取り戻したような気がしていた。
次の朝、ファティマはまだベットから降りられる状態ではなかった。過労による身体の異常は、激しい虚脱感と嘔吐感、ベットに沈んでいるはずの身体は浮遊感で包まれていた。それらは激しくファティマの精神を不安が蝕んでいた。汗ばむ彼女の右手を握ってその不安を和らげていたのは、やはりラルフであった。
「ファティマ。もう行くけど、ラルフが居てくれるからだいじょうぶよね?」
やさしげに声をかけたのはファティマの姉であるルシアだった。彼女は今日からセレナらと共に旅立つのだ。ルシアはファティマがこんな状態にあるのだから、ファティマに付いていたかったが、個人的感情でセレナらの旅の予定を狂わせたくなかった。それに、ルシアは薄々気付き始めていた。ファティマは実姉よりもラルフの方が心許せると言うことを。それは仕方の無いことだった。ルシアとファティマの間には八年間の空白があるからだ……
「うん、姉さん、気を付けてね」
「やっぱり、ファティマの側に居たほうがいいんじゃ……」
「いいの。ファティマもラルフと居た方がいいよね」
ルシアは意味ありげに微笑んでみせたが、ラルフはその方向に一向に疎く、ルシアの努力も無に喫している。ファティマとラルフに恋人の空間をルシアはもたせたいのだが、ファティマの引っ込み思案とラルフの鈍さが化学反応を起こすと、ファティマよりルシアの方がため息を生み出してしまうのだった。
実はルシアはこのときラルフに恋をしていたのだが、けなげな彼女は妹のためにその身を引いていた。が、ルシアはもう一つ辛辣な感情から、恋することを避けていたのである。それは、アムル公国第一公女としての彼女の立場を利用した結婚へ結び付けるためであった。
カランダ市内にある豪邸は高級市街の中に存在しており、その中でも一段と美しさと雄大さに秀でていた。それはハインツ家の屋敷であって、ハインツの父が先王リヒャルト三世から賜った物であった。
ハインツはこの日、休日であって、ぼんやりと中庭で意図のない時間を過ごしていた。暇を暇として過ごす事の出来る特異な性格の持ち主である彼はこの日も暇を暇で過ごそうとしていた。が、
「陛下が私に個人的に会いたいと?」
王宮から使者が訪れ、それを受け継いだ使用人がハインツに報告をしていた。
「さて、どう言った用件だろう? まあいい、準備をしてくれないか?」
ハインツは人のよい笑みを浮かべて、中庭の椅子から立ち上がると、使用人に命令と言うよりはお願いすると言う感じで言った。とにかく、貴族らしからぬ男で、表情を引き締めていれば端正な顔立ちは貴公子然として若い貴族らしく見えたが、いつもぼんやりしていてそれらしくなかった。逆に特権階級の青年らしく横暴に振舞うわけでもなく、いつも奴隷や平民階級にも廊下でぶつかって逆に頭を下げるような人間だった。
「兄上!」
稟と澄んだ声がハインツの耳に飛び込んで来た。女性の声であったが、張りのある発音は高貴さを漂わせ、貴族の娘らしい声だった。
声の主はハインツに駆け寄っていた。細身だが身長があった。ハインツは一七七センチだから中背で低くはないが、その彼より少し背が低いだけだった。
彼女の名をエリザベート・ド・ハインツと言う。
「エリ……何か?」
美しい妹を微笑みながら向かえてハインツはつぶやいた。エリザベート、通称エリは何か用があるときには必ず兄を呼んでから現れるのだ。
「私も、私も陛下に会わせて下さい」
ハインツは怪訝そうに首をかしげながら、エリの美しい瞳をのぞき込んだ。
「まだ言っているのか?」
「もちろんです。私も陛下にお仕えしたい」
ハインツは小さくため息を付いてエリを見つめていた。彼女に才能が無いわけではない。ハインツはそれを英明に知っている。が、その才能は彼女が「女」で在ることに寄与しなかった。その才能とはすなわち「剣」。
「おまえが陛下に何が出来ると言うのだ?」
「もちろん……剣です。私の剣で陛下をお守りします。この命に代えても」
ハインツはエリから視線を外した。彼は「命に代えても」等と言った言葉を余り好きではなかった。彼の心には命に変わるほどの他の物があるとは信じられないのである。が、それよりもハインツはエリがそんな命を測りにかけるような生活をするよりも、一女性としての幸せを追って欲しかった。人並優れて美しい彼女なのだ。
が、ハインツはエリが執拗にラッツウェルに仕えたいというその心を知っていた。それは六年ほども遡らねばならないのだが、エリはあやまって川に落ちたことがあった。そこで溺れかけたのを助けたのは、当時皇太子であったラッツウェルだった。身分をわきまえぬ優しさに幼きエリは心打たれ、その日から、ラッツウェルに仕える事を心に決めたのだった。
それをハインツは知っている。エリのいみじさはよく分かる。強く反対しきれぬ彼が、剣士としてのエリを育ててしまった。自らに責任のあることも彼の心を痛くした。
「エリ。おまえには無理だ。生半かな剣では陛下をお守りするどころか、御迷惑をかける事になるぞ」
「生半かな剣ではありませぬ!」
「ならば、私に勝ってみよ。私程度に勝てぬのならば、諦めよ」
ハインツは静かな仕草で剣を抜いた。彼は一応剣術を一通り学んで、一応帯剣をしているが、お世辞にも剣術をマスターしているとはいえない。彼にあるのは剣の才能ではなく、政戦略の知性、すなわち知略にあった。
「兄上……ならば!」
エリは一瞬を戸惑いに費やしたが、すぐに意を決して剣を抜いてハインツに襲いかかった。その俊敏さ、目標までの最短直線を取る彼女の攻撃は正しく彼女その物で、それ事態はどんな剣の達人でも感嘆の声をあげただろう。
が、ハインツはゆらりと揺らめいて、エリの剣は幻のような彼の身体を抵抗もなく貫いただけだった。
「なっ!」
エリが振り返ると、ハインツの剣がが彼女の予想のあらぬ所から突き出て、彼女の首筋のところにあった。
「だめだな。私程度すら勝てぬようでは陛下に推薦することはできぬ……私は陛下の元へ参上する。留守を頼む」
ハインツは剣を納めてきびすを返して立ち去った。そこには愕然とたたずむエリだけが残されていた。それは余りに悲痛な姿だった。
が、ハインツは知っていた。自らが使ったのが、幻術であってこれは依然会ったことのある暗殺者から教わった物だった。無論、見てそれを独学で自分のものにしたものだから亜流であるが。もし、エリが直線的な攻撃ではなく、曲線的な攻撃だったならば、ハインツがまともに剣で受けようとしたならば、勝敗は有無も言わせぬ迅速さでエリが勝っていたであろう。ハインツは姑息なトリックを使ったに過ぎない。
が、同時にハインツはこの程度のトリックにかかるようではエリはラッツウェルの命を狙うであろう暗殺者の牙に倒れるのは目に見えている。エリをそんな風に失いたくはなかった。彼にとって彼女は唯一の肉親なのだから。自らのエゴとは知りつつも、ハインツはエリを死地に追いやることはできなかった。
昼下がりにカランダ王宮の中庭で、木陰に身を寄せる女性がいた。その気配はまるでその風景にとけ込むかのごとくで、草木の様に自然の中に気配を溶かしていた。
彼女の名はカーミラ。女吸血鬼を意味する言葉を名に持つ異端。
「幻妖のカーミラ」と言う名は彼女の通名で暗殺者として最高峰の一人と称される。まだ、若干二十四歳であった。
「誰だ? 気配を殺して忍び寄るとは余りいい趣味ではないな」
「気付いたか。さすがと言うところか?」
「世辞など虚に過ぎぬ。何の用だ? 『疾風のジャッド』よ」
カーミラは彼女を日光から護る木の葉のざわめきに気配を感じ、その気配から人物を特定させて鋭い声を投げかけていた。曖昧と言うことを一切に排除したかの口調は女性らしさがなかった。彼女は暗殺という仕事のために愛を捨てた女である。
「おまえはこの乱世をどうみるか?」
「乱世? 確かに乱世かも知れぬ。だが、ラッツウェルと言う男のみが、この世を平定し、治める能力と器を持つ人物と私は判断している。その他にはおらぬ」
「おらぬ? それはちがうな。俺は見つけた。俺はそれに付く。おまえはラッツウェル……ラルフォードはフェンリルへ下った……面白くなりそうだな」
「ふん」
カーミラは鼻で笑おうとしたが、すっと気配が降りてきて目の前に声の人物が現れた。「疾風のジャット」、それが彼の名であった。中肉中背だったが、しなやかな筋肉の肉体と、鋭利な刃物のような視線を持った男であった。長い髪を浅緑色のバンダナでまとめていた。口元には僅かに陽気さを漂わせていて暗殺者らしからぬ容貌だった。が、雰囲気は暗殺者のそれで彼もまた、「暗闇のラルフォード」「幻妖のカーミラ」と同様、闇世界に名を轟かせるの暗殺者であった。ただ、「暗闇のラルフォード」が後の二者に対して圧倒的に有名だったが、それは彼が世に早く出たに過ぎない。能力は互角と言えた。
「その人物とは?」
カーミラが問いた。問いかけではあったが、媚びたところは未塵もなかった。
「言えぬ。言えぬが分かりやすく言ってやろう。……愚者と呼ばれる男だ」
「愚者……まさか」
「ふ、分かるまい。おまえの考え方にはそぐわない。が、奴の真とは愚ではあらぬ。俺は愚の中に智を見た。これは面白くなりそうではないか」
ジャッドは陽気な口元を皮肉っぽく歪めて笑った。
カーミラはその彼の笑みを忌みたる視線で見つめた。が、表情は氷の彫刻のそのままである。彼女は感情を外に漏らさぬように育てられた。無論、暗殺者として有利に働くために。そのために、ジャッドの暗殺者らしからぬそれに嫌悪を抱かずにいられなかった。
「俺達は陰。光あっての陰。だが、陰なくして光が成り立たぬ事も知って貰わねばならぬ……これからはおまえとも敵味方だな」
「味方であった覚えはない」
カーミラは毅然とした口調で行った。だが、ちらりとジャットが背負った長弓を見る。それが、彼の証であった。「疾風」の名のごとく、ジャットはその長弓をもっとも得意とする暗殺者だった。その射撃は疾風のごとく音速を越え、対象を射ぬく。その腕はまさに神弓と呼ぶにふさわしく、闇の深淵であろうが、目に見えぬ距離であろうが確実に貫く。その能力は慄然を覚えずにはいられない。彼を敵に回すと言うことは、何時、狙われているか分からぬのだ。
カーミラはそう思うとラッツウェルから離れられなくなる。
が、それは恋愛としての対象ではなく、主人としての対象でしかなかった。彼女は愛を捨てた女である。その感情を廃したのは、かつての「暗闇のラルフォード」、ラルフであった。
ハインツはその日の午後にラッツウェルの元へ参上していた。ラッツウェルは中庭にある広大な芝生の上で待ち受けていた。誰も共を付けていなかったので、ハインツは怪訝そうに首をかしげた。
「ははは。世の中には誰にも聞かれたくない話と言うものがあろう? 予とてそれは同じだ」
「はあ……で、私に何の御用で」
「ハインツ伯、卿の才能と予に対する忠誠心を確かめるためだ」
意外な答えにハインツは困惑して、次の言葉が出てこなかった。
ラッツウェルはハインツの反応を見て楽しむかのように、微笑を浮かべて芝生の上を歩いた。このようになにも飾り気の無い広場があるのは、こういった密談のためにある。密談と言うと、狭く密室になった部屋でこっそりと行われる物と想像されがちだが、逆にこういったただ広いだけの場所であると、誰かが会話を盗み聞き取ろうにも、声が届くところに身を隠す場所が無いのである。
「私の才能と、忠誠ですか?」
「そうだ。が、予は卿を才ある人間だと思う。問題は忠誠心であろう」
「もちろん、陛下に忠誠を誓っておりますよ」
それは月並みな答え方ではなかった。主君に対する忠誠の言葉としては余りにも軽すぎる。が、それが逆にラッツウェルの好奇心を刺激した。ハインツはただ思い付いた言葉を述べただけだったが、その軽薄な言葉が美辞賛句を嫌うラッツウェルの心を捕らえていた。偶然であればハインツの見えざる才能であったし、彼の意図したところならば、彼は希代の策士と言ったところだろう。
「おもしろい。では卿に問う。余は不徳故か、ふがいないことにカランダ王でありながら、実質の支配を出来ずにいる。予はまずこれを政治面から覆し、後に軍事の実質的な総帥権を得ようと思う。これを善しとするか?」
ラッツウェルの問いは彼の思考を一寸とも隠さぬ物だった。ハインツはそれを感じた。その考えはラッツウェルの気性にあったものだろう。ラッツウェルは氷の彫刻の表情とあくまで公正な精神から「冷徹な王」と評価されがちだったが、実に考え方は柔和かつ柔軟な姿勢であった。
「長期に渡ってカランダの支配権を取り返すおつもりならそれでも良いでしょう……が、早急に支配権を手に入れるのが御望みならば、もしくは、早急に支配権を必要となれば、別の方法があります」
「ほう? その方法とは?」
「軍事の権力を得ることです。まあ、いわばクーデタを起こすのです。もっとも、陛下が正当な支配者であるべきですので、クーデタと言う言葉は適切ではありませんが」
ハインツは久しぶりに脳を建設的な知的活動へ向けていた。ハインツの知性とは常は隠された物だった。彼は常に知者を装うような人物ではなかった。それが貴族達からは「貴族らしからぬ、愚鈍」と酷評を受けたり、平民や奴隷達からは「気取らない貴公子」と人望を集めていた。
「して、どちらを善しとする?」
「どちらをお取りになるかは、陛下の御意志にありましょう。ただ、南方のアステ・ウォールの動向が気になります。かの国は現在諸候が乱立し、王家は外戚に牛耳られております。今のアステ・ウォールならばカランダ単独の軍事力で平呑は可能だとみます。ならば、早急にカランダを陛下が治め、その余勢を駆ってアステ・ウォールに遠征を差し向けてはどうでしょうか?」
ハインツは珍しく自分が扇動的な演説をしている、と苦笑した。その苦笑を見てラッツウェルがハインツが決して彼自身の野心からの言動ではないと確信した。
「よくわかった。卿は予が見たとおりの人物であった。これからも予のために尽くして欲しい。よろしくたのむ」
ラッツウェルはここに良き腹心を得た。ラッツウェルとハインツ。この二人の英雄はこの先しばらくを共に同じ目標を目指す。
セレナ達がヴァルハナ市を発って数日後、ファティマは未だベットの中にいた。彼女の病状は過労そのもので、細身の彼女の身体に疲労がかかりすぎただけだった。だから、すでに彼女の容態はかなり回復していたのだが、起きていると時折めまいを覚えると言うことで、聞き分けのいい彼女はベットで大人しくしている。
「ごめんなさい……迷惑かけてますね」
ベットから弱々しい感じではないが、か細い声が彼女の看病を続けるラルフの耳に入ってきた。
「ばか、これぐらい何ともないよ。まあ、いままで私がファティマにかけてきた迷惑に比べれば、ね」
ラルフはそう言って冗談めかして笑っていた。
ファティマはそのラルフが側にいてるくれるだけで幸せだった。確かに、ラルフの看病や世話は慣れぬのか、その才能が無いのか、ファティマからみればぎこちなく、否効率で遅かったが、それでも彼が看病してくれるのが、嬉しかった。実に些細なことであるが、少女の恋心がその価値を増幅させているのである。
「姉さん達……大丈夫かしら」
ふと、視線をラルフから天井へやってファティマはつぶやいた。数日前に発った彼女の姉、ルシア達を憂っているのだ。
「心配ない。ガルドさんが一緒だし、あのアーディルとか言う人も相当の切れ者らしいしね。それより、ファティマは身体を元にもどさなきゃな」
ラルフはベットの脇に腰掛けて、そう微笑みかけた。
ヴァルハナ市を発ったセレナ達はヴァルハナ市を中心に南北に伸びるヴァルハナ街道の北を北上していた。ヴァルハナ街道の物流はおもに南方のノープル、ライゼルを経由するアステ・ウォール方面の往来で、北ヴァルハナ街道は道も細く整備も悪く寂れている。だが、街道としては古くからの重要道としてヴァルハナ市へ向かう荷馬車などは、よく彼女達の横をすり抜けていく。
そして、ヴァルハナ市を出て十三日目の夕刻に彼女達はヴァルハナ街道のきたの終着点、人口九千余りのマリッファの街に付いていた。
良質の砂鉄を産出する街と知られ、商工業が盛んな街と言える。この地方は余り雨が降らないが豊富な森林資源があって、その中を流れるいくつもの小さな川がこの地方の水瓶となっている。さらにその上流では良質の砂鉄が採れる。
マリッファの北東には小さな岬があって、そこは南のオリハ海、北のトバ海と、二つの大海の分岐点となっている。その岬の前方に、セレナ達が目指しているコルア島が浮かんでいるのだ。
セレナ達はまず、その街に付くと宿を取り、ガルドは四人を宿において船を調達に出かけた。彼は、この街の出身なのだ。生家は町外れにあったが、すでに両親は不在で、誰も住んでいない空き家となっている。
ガルドはうまく小型船を港で借りることが出来て、他の四人に予定を連絡した。
「マリッファの港から、船でコルア島までは十時間強です。明日の朝に出れば夕方にはコルア島につけます。そこで船で一泊し、次の日を使って、コルア島を探査しましょう」
簡潔にガルドが説明をすると、一同がうなずいた。この季節なら、まだ海も荒れないだろうから、その予定は実行するに支障はないだろう。旅慣れたアーディルはそう分析していた。
翌朝、船はマリッファから出発し、海岸線を滑るようにコルア島へと船首を向けた。小型の船だが、船室はしっかりした造りで、宿泊施設も完備されていた。予定度通り夕刻にセレナ達はコルア島に到着して、船で一泊した。慣れぬ船の中なのか、ガイアの謎に迫ったためなのか、セレナは浅い眠りの中で夜の闇に包まれていた。
翌朝早くに目を覚ましたセレナ達は、船を接岸させて固定すると、岩肌が面に出ているコルア島の大地に降り立った。
コルア島は火山島で黒く重い感じのする岩板は浅緑岩か、玄武岩のようで今だに風化していないのは、花崗岩のような柔らかさを持っていないことを物語っているかのようである。
雨の少ない地方で、この硬い岩。コルア島は極僅かな苔や草だけが繁る無人島である。島自体は十分な大きさを持っているのだが、何しろ、水か不足しては人は住めない。その荒涼とした大地はある程度の広さを持っているために、その島に調査にきたセレナ達には、少々厄介であった。
「しかたないな。三手に別れて、島を調査してみよう。正午になったら、船に戻ることにして、ガルドさんとルシアさん、ミナとセレナが組になってくれ。俺は一人でいい」
アーディルが指示を出す。アーディルが一人行動すると言うのは、彼の能力を考えると当然で、彼がセレナの護衛をしながら調査を進めるよりはるかに効率的である。彼は調査、偵察に関してはプロフェッショナルだからだ。
「ミナ、セレナを頼む」
ミナはそれを了解して、素早く首を縦に振った。
ミナはふとセレナを見ると、彼女は何か神妙な表情をして、固く荒涼とした島を眺めている。この地点からは島の全貌を見ることはできないが、やや傾斜のある島の中央の方向をじっと眺めている。
「セレナ? どうしたの? 何か感じるの?」
ミナはセレナが霊感的な感覚を持っているのかと期待して、問いかけた。彼女はガイアの一族なのだ。ならば、もしこのコルア島がガイアの伝説にまつわる島ならば、何か彼女を引き寄せる力があったとて、不思議ではない。
「ううん、そういう訳じゃないけど。何か……胸騒ぎがする……」
セレナはやはり神妙な表情のままで、つぶやいて答えた。
「ふふっ……セレナ、気を入れすぎじゃない? もっと気楽に行こうよ」
「そうね」
セレナは微笑みをこぼし、ミナの心配りに感謝した。胸騒ぎはおかげで少し収まったが、まだ無くなった訳ではなかった。ミナの言葉ではないが、何か彼女は自身を呼びかける力に引き寄せられているようだった。
ルシアとガルドの組は島を向かって左側から、アーディルは向かって右に、セレナとミナはセレナの志願があって、中央を進んだ。本来なら視野と感覚の広いアーディルが中央を調査すべきだが、セレナの強い要望で、中央を彼女らに任せていた。
そのセレナ達は島の中央に向かっていた。そこはかつて火口であった箇所だった。海底火山が爆発して、この島が隆起したのだ。その火口はその歴史を忠実に述べているかのようだ。
と、セレナは目に付いた風穴の前で立ち止まった。おそらく、火山の爆発の時にできたであろう、溶岩でできたトンネルのような斜め下に向かっての洞窟だ。斜度は僅かなもので、横穴と行って語弊はない。
「セレナ、どうしたの?」
「何か感じる。この中に……誰か……いるような」
「え? あっ、ちょっと待って!」
セレナがふらふらと吸い寄せられるように洞窟の中に入って行くのを見てミナは慌てて彼女の後を追った。急いで腰に携帯していたたいまつに火をつけて、セレナの前に立つ。セレナはたいまつを持っていないのだ。
炎に照らし出された岩肌は彼女らに襲いかかるようで不気味に反射していた。だが、逆にそれは彼女らを奥に誘っているかのようにも思えた。
固い玄武岩の岩肌を確かめながら、二人は慎重に奥へと進んだ。黒っぽい壁はたいまつの光さえ吸い込みそうで、闇が音をたてて後ろに付いて来るような緊張感を二人は覚えていた。
と、急に淡い光が前方に見える。
「出口?」
ミナは目を凝らして先を見たが、闇の中を歩いてきたせいで、明度の感覚が狂っている。二人は歩調を早めて、その光に向かって行った。
その光の門の側にきたとき、セレナがはっとなってミナの腕を取った。
「だめっ!」
「えっ? わっ」
セレナに突然腕を掴まれてミナは驚いてセレナを見た。そして、足元を見てみると、後一歩の所で地面がなくなっていた。そこから先は、断崖絶壁だったのだ。それが闇の黒と岩の黒と見分けがつかなくなっていたのである。
そこから、上を見てみると空が見えた。立て穴になっているのだ。それもとてつもなく大きい。ほぼ円形で直径は一〇〇メートル前後はあるだろうか。それよりも強烈なのがその穴の深さであって、日光がほとんど届いていないためにその深さを目で確認することが出来ない。
ミナは手ごろな小石を見つけて穴に放り投げた。意外な時を要して乾いた音が帰って来る。
「相当な深さね……ありがと、セレナ。助けてくれなきゃ、絶対死んでた」
ミナは改めて蒼くなってセレナに感謝した。が、セレナはミナを忘れてじっと地の底を眺めている。
「なんだろう? なにか……感じる」
「え?」
セレナが独り言のようにつぶやいた言葉をミナが聞き取って、セレナと同じように底をのぞき込んだ。
「あっ?」
ミナは地底できらりと光るのを見つけて声を上げた。セレナもそれをほぼ同時に発見する。
「あれは……何の光?」
「なんだろう? 太陽の反射かな? ともかく、おりなきゃわかんないよ」
「でも、どうやって……」
「船にロープがある。それをつなぎ合わせればいい!」
二人は急いで船に戻ってロープを用意していると、いつの間にか太陽は高い位置に登っていて、そのうちアーディルらが戻ってきた。
セレナ達はまず洞窟の事を話し、そこにセレナが何かを感じていることを伝えた。次にアーディル達の報告だったが、彼らは目星い物を発見できずにいた。
「じゃあ、午後はその穴へ行ってみよう。とにかく、しらみつぶしだな」
アーディルがそう決断を下して食事の後、五人は船のありったけのロープをもってその洞窟へと向かった。
日が高くなったためか、横穴の洞窟から見える光るものは、先刻より輝きをましてきらきらと閃光をちらつかせる。これで日光の反射物であることが分かった。
その光を見て、アーディルは嫌な予感を覚えていた。訳は言葉で表せなかったが、直感的にその光に不快感という物を感じたのである。
船から持ってきたロープを固くつないで縦穴に垂らすと、その長さは縦穴の底まで到達するに至った。そして、固く丈夫そうな岩の突起に先を結び付けると、五人はロープを伝って闇の底へ降り立った。
その縦穴の底は予想以上に広く、セレナ達が上からのぞき込んだときと同じくらいの広さがあった。つまり、底と壁の角度がほぼ直角なのだ。そしてその深さは縦穴の入口が小さく見えるほど深い。
五人はその広い底の一点を目指して駆けた。そう、かすかな光を放っていた地点だ。
「うっ……」
先頭を走っていたアーディルが声を挙げて立ち止まった。彼らが降りた逆方向の壁ぎわに一体の白骨死体があったのだ。それは人間の物で、身長、骨の細さから見て女性の物とわかった。
「アーディル……これは……」
驚愕の表情でセレナが白骨死体を見ながら、つぶやいた。
と、辺りを見るとひとふりの剣があった。六十センチ程度の刃渡りと柄の部分に宝石をあしらった方刃の剣だった。他の遺留品であろう、金属物はそのほとんどが錆びを帯びていたが、その剣だけは鋭い光沢を放っており錆どころか光の鈍りすらなかった。
「これが、反射して?」
ミナがそれを拾い上げて、刃の表面に反射する光を見つめた。
その刹那だった。
黒い壁ぎわの何もないの所から、まばゆい閃光が走る。
「うっ? 何だっ?」
アーディルとガルドが剣を抜き、一歩引いたところでミナが手を剣の柄におく。セレナはルシアと共にその三人の後方へ引く。セレナとルシアは前列の三人に比べれば、その戦闘能力は極端に落ちる。当然の行動だ。セレナはその状態から精神を落ち着かせて、少なからず使える魔法で彼らを援護しようと試みた。
彼らを突如襲った閃光は、数瞬の間、直視に耐えかねぬ光を放っていたが、徐々にその力を弱め、淡い光を放つ人の形となった。
「何? 人間?」
ガルドが油断なく構えて目を細めてそれを見た。そのとなりのアーディルは逆に驚愕して剣を下げた。
「ファ、ファーニア?」
震える掠れた声でアーディルが口からその名を絞り出した。その名前はフェンリルにその人ありと言われたファーニアである。フェンリルの創始者カゼルの養女で、フェンリル一の剣士と言われた彼女である。彼女は二年前、カランダ王宮に出向いて以来行方が途絶え、セレナ達はコルア島のガイアに関わる伝説を探ると同時に、この島に向ったと言う彼女を捜索に来たのである。
「あっ! 緑の髪?」
セレナがファーニアの美しい顔立ちを整える髪を見て声を上げた。そう、彼女と同じようにファーニアは鮮やかな緑色の髪を長く蓄えていた。
「ばかな……俺の見たことのあるファーニアは確か、黒い髪のはず……」
アーディルが否定を述べたが、顔立ちのそれはファーニアそのものだった。
「アーディルね……覚えているかしら、私はファーニア。こうして、あなた達がくるのを待っていた。そう、あなたがくるのを」
ファーニアは淡く光る霧の中でセレナを指さした。
「わ、私を?」
「そう、ガイアの一族が訪れるのを……」
「ガイア? その髪、あなたもガイアの一族なのですか?」
「そうよ。かつては仕事をやり安くするために、髪を染めていたけど……」
ファーニアはその言葉をアーディルに向けた。アーディルとは彼女は面識があるのだ。そのころのアーディルはまだ少年から青年への過渡期で、フェンリル内の地位も軽いものだったが、ファーニアはすでにその頃でアーディルの才能を見破っていたと言ってもいい。
ファーニアは光の中で微笑んで、もう一度セレナを見つめた。
セレナは胸に高なりを覚えたままファーニアの姿を直視していた。彼女は魔法の心得が多少なりともあったため、ファーニアの存在を少しずつ分かっていた。彼女はもう死んでいるのだ。
「あなたは……霊魂ですね?」
「ふふ、気付いた? その通りよ」
「なっ?」
セレナの微妙な声色の発言にアーディル達は驚愕の意を示した。ファーニアがまとう雰囲気が異常なるものと感じていたが、それが言葉によって驚愕へと変わったのである。
「二年前……カランダ王に私たちの要求を受け入れて貰うために私はカランダ城へ赴いた。けど、私は王に会う前にドゥルジと言う貴族に合わされて、ガイアの秘密の眠るこのコルア島へ行けと言われた。王に会うために、私がガイアの一族だと明かしたからね。そして、転移魔法でここに運ばれた」
ファーニアが少し目を細めて言葉をとぎった。この地底深くに転移させられたのだ。
「目標座標がずれたのかしらね……」
ファーニアは自嘲気味につぶやいた。
それを聞いたセレナは唇をかんでいた。転移魔法は確かに難しい魔法で、普通、魔法使い達が集団で使う魔法である。しかもそれが王宮に使える魔道士ならば、転移先の座標が狂うことなど考えられない。
「あなたの名は?」
ファーニアは霊体であるとは思えぬ程の輝きを持った瞳でセレナを見つめていた。その希有なる朱色の瞳に見つめられたセレナは胸の奥に圧倒を覚えていた。
「セレナ。セレナ・アスリード」
「セレナね。あなたは私なんかよりずっと強い力を秘めている。ガイアのね。それは、不幸なことよ。普通の人と違うなにかをもつと言うことは不幸かもね。何をしようと言う意志を持って無くても、他人はほっといてくれないもの」
それはファーニアだから言える言葉なのだろう。セレナは逃げたくなるような辛辣な言葉を正面から受け止めていた。
「真実は冷酷よ。でも逃げないで。あなたは強く生きて欲しい。ガイアの一族が何者であるかは分からない。けれど、それがなんであるか、見つけるのも逃げるのもあなた次第よ……ただ、逃げるだけでは私みたいになっちゃうかもね……」
ファーニアはまた目を細めてセレナを見た。
と、剣がふわりと浮いた。横穴から見えた、光が反射していた剣だ。それがふわりと重力を無視したように飛んで行き、セレナの前で止まった。
「ガイアの剣。この洞窟の底に突き立っていた。たしかにこれはガイアの一族の剣。これをあなたに託したい」
「わ、私に?」
「そう……もし、あなたがガイアの謎を解く勇気があるなら、それは役に立つはずよ。ガイアの謎を解くつもりなら、アスブルクのルドア神殿へ行きなさい。そこの巫子王を尋ねてみて。何か、分かると思うから……」
「あっ?」
セレナは思わず声を上げた。
急激にファーニアの声が遠ざかったのである。見ると、光が徐々に失われつつあり、ファーニアの姿が霞んで行く。セレナは消え行こうとする彼女を追いかけるように光の中へ飛び込んだ。
が、しかし光が消え失せた後、セレナだけがその場所に立ち尽くしていた。アーディル達も愕然と立ち尽くすだけだった。
カラリと乾いた音を立ててガイアの剣が転がった。
セレナはゆっくりとした動作でガイアの剣を拾った。その銀に似た光沢の剣は薄く、軽いものだった。非力な彼女でも十分にあつえそうである。柄の部分を強く握ってみると、ベージュ色の柄が少しへこんだ。びっくりして力を抜いてみると、指の形にそれは少しくぼんでいて、しばらくすると、元に戻っていた。特殊な樹脂が使われているのだ。
「ファーニア……さん」
セレナはか細い声で、亡き人の名を呼んだ。もし彼女が生きていたらならば、と、セレナは思わざるを得ない。同じガイアの一族として……
アーディルが遥かかなたの地上を見上げていた。空に禿鷹が舞っているのが見えた。
彼らの周りには断崖絶壁が迫っている。
ファーニアはここに転移させられて、状況を知ってから、この壁に爪を立てて登ったに違いない。そして何度も失敗し、地底の岩版にたたきつけられたことだろう。
たとえ、彼女が剣の使い手であったとしても、この岩壁を登るのは不可能だった。壁のぼりなどを得意とするアーディルですら、これを登りきる自信はない。
何度も失敗し、草も水もないこの大地の奥底でファーニアは飢えと渇きに絶望し、そして死んで行ったのだ。そして、残された彼女の肉体をあの禿鷹がついばんだのだろう。
「なんて惨い……」
ファーニアの最後を想像していた五人の沈黙から、ガルドがやっとの事で声を絞り出した。これ以上の惨い殺し方があるだろうか。
「ちくしょう!」
アーディルが天に向かって吠えていた。面識があり、ファーニアにそれなりの人望などを持っていた彼が一番、怒りを覚えているに違いなかった。アーディルは天をにらみ付けた後、思いっきり拳を地面にたたきつけていた。
一行はファーニアの遺骨を予備の皮袋に入れると、彼女の故郷、アスブルクへ埋葬することを誓って、その洞窟を出た。
すでに日は西に傾いていて、後数時間で夕闇が辺りを覆うような時間帯だった。 航海に慣れぬ五人は夜を停泊した船の中で明かすことにして、夜を向かえていた。
満天の星空である。
秋の空は固く澄み渡っていて、千差万別の星の光は悠久の時を越えて蒼い大地に降り注いでいるのだ。その光は繊細かつ脆弱であったが、見る人には蒼古として激しく様々な形を描いている。
冷たくなった風を受けながら、セレナは甲板にたって夜空を眺めていた。もう、夜はふけている。アーディル達はとっくに眠りの深海へ沈んでいる時間だった。
ただ一人、彼女は緑の髪を風に任せて夜空を眺めている。
「セレナ? どうしたの?」
突然声がしてセレナは振り返った。そこにはミナが立っていて優しい表情でいた。星の明りに照らされた表情が彼女の輪郭を柔らかくしているのかもしれない。
ミナはゆっくりと瞬きをすると、微笑みながらセレナの横へ歩いてきた。
「眠れないの?」
「うん……」
セレナは軽く応えて、舷に打ち付ける波の音に目を走らせた。僅かに白いしぶきが闇の中に浮かんでいる。秋も深まって、夜になると海も鋼色に変えていしまう。
「やっぱり、気になるの? ファーニアって人が言った言葉」
ミナが問いかけた。セレナは視線をさまよわせて、
「うん」
小さく、掠れる声で応えていた。
実際の所、セレナは「ガイアの一族」であると言う自覚はほとんど無い。ただ、希有なる緑の髪を持っていると言うことだけで、後は普通の人間となんら変わりないからだ。
唯一、彼女はライゼルの故郷でハインリッヒに捕らわれたときに「ガイアの一族」である多重人格の裏を見せたことがあったが、それは彼女の記憶にはないものなので、彼女はそれを知る由もない。
が、セレナはファーニアの言葉が気にかかっていた。「不幸にする力」それがガイアにはあるのか? 事実、ファーニアは無惨な最後をとげたではないか。そして、ガイアの一族であると言うだけで、彼女の村は全滅させられたではないか。
ガイアの一族に秘められた力があると言う。それを狙うものが、ガイアの者とその周りを不幸にするのだろう。それはセレナ一人でどうになるものではない。
「実を言うとね……私も何がなんだか、分からないのよ。ファーニアさんの事も……ガイアの事も」
セレナは秋空に固く輝く星を眺めながら、つぶやいた。
「ただ、これからどんな事が起こるのかなぁって思うと……眠れなくて」
「セレナ……」
ミナが心配そうな視線を送っているのにセレナは気付いた。
ミナという少女はセレナより一つだけ上の年だが、無邪気で爽快なかわいらしい表情とは別にアーディルも僻えきとさせられる皮肉家と言う一面を持っているが、その裏にもまた、やさしげな少女の姿があることをセレナは知っている。
「大丈夫! 心配しなくてもいいって! 私やアーディルみたいなのが、セレナを護ってあげる」
ミナは無邪気に笑ってセレナを元気づけていた。それにつられてセレナも微笑みをこぼしかけたが、それはすぐに暗い表情へ変わってしまった。
「でも、ファーニアさんが……ガイアの力は人を不幸にするって。ミナ達も私の周りにいるときっと巻き込まれちゃう……そしたら、そしたら、ゴメンね。私……」
「そんなの関係ないって! 私もアーディルも好きで首突っ込んでるんだし。全然、へーきだって!」
セレナの声をさえぎってミナは元気よく言った。
ポニーテールで童顔な彼女を見ていると年齢は上のはずなのに、彼女が妹に見えてしまうセレナは思わず吹き出しいた。
急に訳も分からず笑い始めたセレナを眺めて、ミナは怪訝そうに眉を潜めたが、ついに彼女も一緒になって、笑い初めてしまった。
その二人の笑いの中でセレナは一つの決心をしていた。
ガイアの謎から逃げないことを誓っていた。ファーニアと言うガイアの一族であった英雄の意志はセレナに受け継がれていた。彼女はヴァルハナ市へ戻り、そしてアスブルクのルドア神殿へ向かうことを決意していた。
ヴァルハナ市のとノープルの街の中間地点にドゥルジと言う都市があり、人口は二万弱で、その名が指すとおり、ドゥルジ伯家の居城があった。この地方一帯を治めるのはドゥルジ家の当主、ケッツァー・オヴ・ドゥルジで、昨年亡くなった、レオン・オヴ・ドゥルジの息子だった。現在二十九才の青年である。
容姿に非凡なる彼は封建的特権身分の中毒患者とも言える、横暴な貴族だった。生まれついての有力地方貴族の一人息子だったのだ。その彼の精神内部は傲慢が広い領土を占めてしまっていた。
その彼の個室に一つの陰が舞い降りた。それをみてケッツァーは何も動じなかった。味方だからである。
その者の名は「疾風のジャット」。
「報告に参りました」
ジャッドはきわめて事務的な声で言った。普段の彼の陽気がそこにはことごとく欠如していた。明りを反射する瞳までが無の光であるかのようだった。
「おまえが、ここにきたと言うことは何か情報を得たと言うことだな?」
「御意」
「何についてだ?」
ケッツァーは椅子からかしこまるジャッドを見つめて、報告を促した。ケッツァーはきらびやかな装飾品を身に纏った青年で、それを身につけるにふさわしい容姿の持ち主である。一方、ジャッドの方は、荒れた髪を大きめの緑のバンダナでまとめただけで、纏う衣服も使い古した皮製の胴着のような代物である。好対象の二人だったが、実際のジャッドは違う。もっと、野趣に富んだ輝く瞳を持っているはずである。
「フェンリルと、ガイアの一族についてでございます」
「ほう」
ケッツァーの瞳が輝いた。それは野心家の輝きである。彼はガイアの伝説を現実に呼び戻し、その力を持ってして権力を握ろうと言う野望を持っている。
「ヴァルハナ市のフェンリルの本部に王弟ラウエル様の婚約者、アムル公国公女ルシアがかくまわれているとの事。さらに、そのフェンリル本部にはガイアの一族の少女が滞在しているとの情報です」
「なるほど。ルシアを取り戻すと言う名目の上、そのガイアの一族の少女を手に入れるか……」
ケッツァーは腕組をして知的活動にいそしんだ。しかし、ケッツァーと言う人物は知的活動において並を凌駕する人物ではなく、それにおいては凡庸な人間だった。さらに彼には優秀な参謀になる人間がおらず、もしかりにいたとしても、封建的特権の甘味に肩まで浸かった彼に、意見を容れる器量があるかと言うのは甚だ疑問である。
「では、これにて」
ジャッドは一陣の風と共に消えた。
「やはり、大局を見破れぬ俗物か」
ケッツァーの城の尖塔の屋根に立ち、風を身体全体に受けながらジャッドはつぶやいていた。この時の彼は見るものをいすくめるような鋭い眼光をしており、ケッツァーと対面したときの瞳とは全く別物だった。
「しかし、解せぬ」
彼はほんの少しだけ、切れ長の瞳を更に細めて遠くを見た。
「なぜ、なぜにラッツウェルに統一作業を進める手助けをされるのだ? ケッツァーがフェンリルを攻めれば、おそらく、ラッツウェルは粛正のためにケッツァーを攻めるだろう。そうすれば、窮地に追いやられたケッツァーは同盟者を造り、ラッツウェルと戦うに違いない。奴には大局を見る能力が無い。そうすれば、ラッツウェル……いや、ハインツかも知れぬが、奴らの希望通り、混乱を巻き起こすことになろう。その後に訪れるのは、ラッツウェルの強化された政権だ……」
ジャッドは思う。それから、カランダ政権を逆転させるのは難しい。いや、不可能に近いと言ってもいい。ラッツウェルの君主としての器量、ハインツの参謀能力。これに安定した支持と、戦力。
これに対抗しうる才能と戦力。それが何処に残されるのか。
「まあ、いい」
ジャッドは唇を歪めて笑った。
「俺は人生が楽しければいい。どんな逆転劇を魅せてくれるのか。それを期待しているだけでいい。それは俺が考えねばならぬ事ではない……」
