森林と豊穣の穀倉地帯。生命の源である緑と水はこの地を多い尽くし、尽きることなくその資源を提供してきた。だが、それも無限ではないことを現在が表している。増えすぎた人間達はその大地が供給する恵みを搾取するだけで、何の見返りも与えなかった。
やがて大陸は乾燥化に向かった。土地は痩せ、水は大地の奥底へと姿を消した。わずかなオアシスだけを残し、大地は砂と岩の砂漠へと変わっていった。
砂漠が広がる速度は想像以上である。乾燥の中、暑さと寒さで砕かれた砂は風に乗り、集落を、畑を砂で多い尽くした。そうしていかなる植物すら根を下ろすことが出来ぬ乾燥した不毛の大地は広がった。
そして、何時か人々は砂の色からこの不毛の大地を皮肉を込めてこう呼んだのである。「黄金の大地」と……
アレルの住む漁師町を出て二十二日目でようやくセレナとファティマはホーエンツ公国カインに付くことが出来た。ずいぶんとのんびりした行程であるが、女性二人だけという事もあり、なるべく野宿を避けるため時間の調整を慎重にしたからである。そのため特にトラブルなくカイン市に到着していた。
カイン市を一言で表現するなら、「商都」である。陸海の交通の要所であり、古くから市で賑わう街だ。カランダやヴァルハナというにぎやかな都を覗いてきた二人であったが、かのふたつの都とはまた別の雰囲気を持ったにぎやかさに二人は圧倒されていた。
二人はまず下町の安宿の一室を取ることが出来、またその宿泊賃の安さに驚いた。
「何、沢山の客がいれば、一人頭の料金が安くとも儲けは出るからね」
やたら気風の良い中年お女将がそう二人に教えてくれた。
二人の少女はひとまず食事をとりながら今後を決めることにした。
「ここに来るまで随分かかっちゃったけど、みんなと会えるかしら?」
「んー、この街では難しいかも」
セレナの応えに、ファティマは首を傾げた。
「どうして?」
「そりゃそうでしょ? こんなに人がいるんだもん。それに広いし。動き回る人間を捜すのはまず不可能だと思うわ」
「そっか。そうね……はぐれたときにおちあう場所を考えておいた方がよかったのかしら」
ファティマはため息を付いた。しかし陸上ではぐれるならばともかく、海上ではぐれるとは旅慣れたアーディル達でも想像できなかった事である。過ぎてしまったことはとかくどうしようもない。
「ともかく、彼らと合流することが第一番ね」
「うん、私達があの人達ならどうするか……」
ファティマはしばらく考え込むと、女将の所へ駆けていった。一言二言、彼女と話すとすぐセレナの席へと戻ってきた。
「どうしたの?」
「えっとね……」
彼女が説明するまもなく、女将が古ぼけた羊皮紙を持ってきて広げた。地図である。カイン市を中心に街道と主要な街が書き込んである簡単な地図だ。
「古い地図だけどね、あんたたちのような旅人がおおよその行き先を見つけるぐらいならこの地図で十分なはずさあ」
「ここから、アステ・ウォール市に抜けるとしたら?」
ファティマが問う。
「この街道だね。ここの道はまだオアシスが生きてるはずだ。でも、砂漠越えだよ?」
ファティマは無言のまま、その街道を視線で追った。幾つかの小さな街道が別れては交差している。そして彼女の視線が一つの街で止まる。
「ナルシャ……」
「ん? ナルシャの街かい? あそこは中央砂漠の入口のオアシスだよ。まあ、この砂漠を越えるにゃ、この街には必ず立ち寄るね」
「この街の大きさは?」
「うーん、大体人口は千人位だったと思うけど……」
女将は怪訝そうに少女の顔を見た。
「ありがとうございます。とても参考になりました」
「ん? ああ、気が済んだかい?」
ファティマは丁寧に羊皮紙を折り畳むと、女将に会釈をして返した。女将はおかしな少女だ、とも言う正直な表情でそれを受け取ると、自分の仕事へと帰っていった。
「いい方法だと思うの、聞いて、セレナ」
「ん、大体解ったと思う」
セレナは微笑んで片目を愛嬌よく閉じて見せた。ファティマが小さく驚いた表情を浮かべる。
「そのナルシャなら必ずみんな通る街だし、小さな街なら、目的の人も捕まえ安いって訳ね?」
セレナはさらさらとファティマの言おうとしたことを説明した。ファティマは視線をセレナに移した。深い紫色の瞳が悪戯っぽく輝いてファティマの顔を映し出している。
「ふふっ」
「考えてることは一緒だね」
二人は笑いはじめた。
実は、ジークは二人がカインに到着したとき、その地に執着するのではないかと、一種の懸念をミナに話していたのだが、
「セレナ達はそんなに頭悪くないよ」
と、一笑に伏していた。
一晩の宿を取った後、二人は南を目指して、新しい大地を踏みしめる。進めば進むほど、富ならぬ黄金へと風景を変える土地へと。
王弟ラウエル暗殺の報がカランダ市届く。それは威の一番に国王であり、ラウエルの兄ラッツウェルの元へ届けられるのだが、肉親の死にもラッツウェルは何の表情も変えず報告を受け取った。
使者はラッツウェルの怒りを恐れて体を堅く縮込めていたのだが、拍子抜けしたと言うような表情で報告を終えていた。
「余は薄情な男だろうか?」
独白だったのかもしれない。ラッツウェルが私室に戻り、初めに吐いた言葉だ。アリアは眠りに落ちているので、その言葉は奴隷のカテローゼに向けられたものだと彼女自身は錯覚した。
だが、答えが出るわけでもなく、ただおろおろと一向に浮かばぬ彼女は困った表情を見せるだけだった。それに気付いた彼は微笑とはこの様な笑みだと言うような微かな笑顔を向けた。
「予とラウエルの間には兄弟という空気は流れていなかった。王権の第一後継者と、第二後継者……ただそれだけだった。腹をさぐり合うことはあっても、和むことなどなかった。その死を聞いて、心を痛めることができるのかな? すくなくとも予には難しい命題だ」
自分を責めるような言葉は時として、周囲の人間の心を冷たくさせるものだが、この時のラッツウェルの表情は至って柔和なままだったのでカテローゼはすこしだけ緊張をほぐすことが出来た。
「おそらくはミハエルの仕業だな。カーミラが戻ってきたという事は、彼女が恐れるに足りる暗殺者がミハエルの元に付いているという事だ。かといって、反逆者に討伐軍を送らぬ訳にも行かぬ。人選は……」
しばらく考えてラッツウェルは頷く。
やはりあの男に頼るほかあるまい……
「全く嫌な役目をこうも沢山背負わされるものだ。昇進は悪くないが、昇進を餌に殺されるのはいやだ」
そうぶつぶつと文句をたらしているのはハインツである。ラウエルが残した討伐軍の指揮権はハインツに回ってきたのである。
血気盛んで出世欲に満ちた者なら、この好機を悦んで受けるだろう。そしてそのような人間が多数派であり、ハインツのようなものは少数派であった。
「ふむ、お主はやはり面白いのう」
そんなハインツを見てアステ・ウォールからの亡命廃帝は無邪気に微笑み駆けた。皇帝とはいえ、年の数十三歳の無邪気な少女だ。亡命していらい、世話役にあたる貴族は当てられたのは当てられたのだが、亡命当初、窓口役になったのが偶然ハインツであり、それ以来、貴族とも軍人ともらしからぬハインツの人となりを気に入った彼女は彼にくっ付いてばかりである。時としてエリやローズハルトの失笑をかう羽目になっているのだが……
「人の苦労を見て悦ばないで下さいよ。不謹慎です」
「愚か者。男を上げる好機が巡ってきたのではないか。喜び勇み、明日の戦いのことを常に考え、万全を喫するというのが武人であろう」
「別に武人じゃないし」
「お主はこの国一番の名将と聞くぞ?」
「噂は当てになりませんよ」
ハインツはもっともらしい言葉で返して置いて、一応これからのことを考えようとしてみたが、人の数倍の怠け癖を持っている彼は、人の数倍の疲れた表情を既に浮かべた。
冷たい視線が彼の顔に突き刺さる。
「あれ? どうしたんですか?」
「やはり噂など当てに出来ぬようじゃな。このようなぼんくらが名将だとはとてもとても思えぬ」
「うーん、そこまで言われると何か反論したくなるもんだなあ」
ミハエルはアムル城の見張り台の一つから、大地を見下ろす。その視線は広大に広がる地平線であり、足下の小石ではない。
「次の指揮官はハインツだろう。彼は一筋縄では行かぬ相手であろうな……だが、そんな相手でなければ、戦は終わらぬ。あのハインツに『あのアムル公国は、ミハエルは一筋縄では行かぬ相手だ』と思わせることにより、早期に独立を認めさせる事が出来るというものだ」
常に遠くを見る男である。壮大なる計画の上で、ハインツという巨大な才能を前にしても、それは達成すべき目標の障害でしなかないのだ。
恐るべき男ではあるが、その目標が達成し得ねばただ愚かなだけである。だが、彼は彼自身の能力を知っていたし、自信を持っていた。
すでにアムル公国軍の統制はガルド等によって取れている。城内の警備兵、義勇軍などを除き正規兵の数は八千。一戦力として立派な数である。もっともアルカーティスの未来の覇者となるべきカランダ王国から見れば、微々たる数の兵力なのだが……
セレナ達はカイン市を発ち、ナルシャへと向かった。姿形を紛らわせるには好都合な道筋である。この街道は中央砂漠を貫いているので、砂漠を越えるだけの装備が必要となる。そのため、ハザとよばれる麻でできた毛布のようなローブを身にまとうことになる。それを深々とかぶれば、中身の人間がどんな人間であるのか、よく調べぬ限りには解ることはない。セレナ達にはそれは好都合であった。無論、小柄で華奢なその体はハザの上からでも十分に少女のものだと解る物だったが……
カイン市をでると、すぐそこは乾燥した不毛の土地へと変わる。まだ砂漠と言うには優しいが着実に砂漠は広がっているという。
その行程の途中、二人はとある岩場で野宿をしていた。岩石砂漠とサバンナの中間のような土地で、乾きからの昼夜の気温差で極希に岩の音が聞こえる。精霊の鳴き声のような幻想的な音だ。初めは二人もそれには警戒心を抱いていたが、土地の者にその曰くを聞くともう慣れたものだった。
その日の夕刻、二人は街道を外れ、街道からは岩場の影になる場所に焚き火を作った。他の旅人に存在を知られぬ為だ。追い剥ぎ、野党の類と出会いたくなかったし、あまり余計なトラブルは避けたかったのだ。念のため、ファティマの人避けの呪符あたりに貼る。呪い程度のものだが、意外に効果を持つ。
日が暮れる頃、セレナは薪を拾いにキャンプを離れた。幸い、砂漠化に耐えきれず、刈れてしまった木々はまばらに生えているので、燃料には事欠かない。
ざわと風が鳴った。
精霊との接触力を持つセレナはその流れを明敏に受け止める。何か物覚えのある波動を感じた。肌の裏がざらつくような、自分の心を犯される波動だ。
「誰……?」
辺りに気配を飛ばしながらセレナが呟く。
と、目の前の空間が歪み、緑が夕闇から染みだしてくる。
「久しぶりね……セレナ」
「え?」
突如として姿を現したのはシンシアである。そう、ヴァルハナ山脈の麓の森でセレナにガイアの一族の事実を話したあの女である。
「私はオマエを殺したい」
シンシアはにやと笑みを浮かべる。妖しげな微笑みだ。紅を塗った唇が妖しい光沢を放っている。緑の髪は風を殺してゆらゆらと揺らめく。
「そう簡単に殺せるかしら?」
セレナは精一杯強がった。暑さではない汗が額から頬をなぞる。
「そうよ。こんなのが血を分けた双子の姉妹だなんて!」
シンシアの忌々しそうな叫びにセレナは驚愕した。
。
二人は似ていないとは言いがたい。緑の髪やライラックの深い瞳、体格なども似たり寄ったりだ。だが、年齢は違うかのように見える。シンシアの方が大人びた妖艶さが含まれている。
「あたしがどれだけ苦労したか、オマエは知らないからさ。オマエが両親のもとでぬくぬくと幸せに育っている間、あたしがどんな思いをしたか……」
「だからって!」
「いいだろう、教えてやる」
シンシアが語りはじめた。
二人の故郷はアステ・ウォール市よりも南の辺境の土地だった。辺境であったが、古くからの文化が伝わる古い土地で、双子は忌み子として嫌われた。双子が生まれたとき、どちらかを捨てることが風習づけられた土地だった。
不幸にも二人はその地に生を受けた。しかもその双子は更に得意なことに緑の髪を持って生まれたのである。
両親は土地の掟に従った。そうでなければ、この地で生きていけないからだ。せめて、気のいい旅人が拾ってくれるよう、銀のプレートに両親の名前と子供の名前を刻み、街道に置き去りにしたのであった。それがシンシアだ。
が、緑の髪は土地の人々に気味悪がれ、家族はその地にいられなくなった。家族はその土地を逃げ出し、安住の地を捜した。南アルカーティスではガイアの伝説が不気味に残っており、彼らに安住の地はなかった。流浪の末、落ちついたのは遠く離れたライゼルの山村だったのだ。
「それでもオマエは幸せに暮らせたろう。あたしは地獄だった。奴隷商の間を売買され、耐え難き屈辱と陵辱を受けた。慈悲などなかった。あの方に出会うまで……」
シンシアは苦しげに告げた。
「オマエは随分不幸を経験したつもりだろう。そんなものあたしにくらべればどうってことはない。そしてオマエはアーディルとか言う男に護られ、幸せそうに笑っている。あたしはオマエが憎い。殺してやる」
セレナは衝撃に半ば正常な判断力を失って呆然としている。が、
「だからって……だからって!」
セレナの紫紺の瞳が緋く燃えた。緑の風が彼女をとりまく。鋭い気合いが彼女の額から放たれる。それは衝撃波となって物理的な威力を持つ。
が、それもシンシアの前では簡単にはじき返されれる。
「ふ、ガイアの故郷に近づいて、いよいよ力を覚醒させつつあるか」
と、二人はお互い以外の気配を感じた。
「セレナ?」
ファティマの声だ。急激に高まった二人の魔力を彼女が感づいたのである。
「邪魔か……」
シンシアはファティマに一瞥をくれると、また空間にとけ込んだ。カーミラに勝るとも劣らない幻妖さでそのものをこの空間から無にする。
「セレナ?」
ファティマは心配そうに声をかけた。
が、セレナは気を高ぶらせたまま、行き場のない力を持て余している。ファティマが横顔を覗き込むと、正気ではない彼女の緋色の瞳が輝いている。
彼女は思わず生唾を飲み込んだ。が、喉は変わらず乾きを訴えている。寒さからではない悪寒が背筋を犯して走る。恐怖そのものを彼女に秘められた魔力に感じた。
セレナがファティマの方をむいた。その圧力をファティマは可哀想にも直接受け止めたのである。足はすくんで逃げられなかったのである。
「あ……」
自分の意識が遠くなるのを、いやにはっきりファティマは感じた。恐怖に失神しようとしているのだ。視界が極端に狭くなり失う。そして意識は闇へ堕ちていった。
次の朝、早くにファティマは目が覚める。
彼女は普段どおり毛布替わりになるハザにくるまって眠っていた。隣ではまだ眠りこけているセレナの横顔がある。そこには昨夜の魔力は感じられない。
「夢? いえ……あれは……」
ファティマは独語した。セレナからガイアの一族のことは聞かされていたが……
乾燥した内陸育ちのセレナにこの地方の気候は慣れた物であったが、温暖で湿潤なアムル地方育ちのファティマには乾燥地方の昼夜の気温の差は想像を超える物だった。彼女の体力の消耗を考え、二人は行程を緩やかにし、カイン市を出て十一日後、交通の要衝ナルシャの街へその足を踏み入れる。
夕暮れともなると日中の暑さも忘れてしまうほど涼しさが辺りを漂う。乾燥した大地は熱を蓄えることが出来ず、その熱を次々と上空へ押し流してしまうのだ。
彼女とジークに与えられた目的はセレナやアーディル達が、ここにたどり着くことだ。それを発見して合流する。
それは彼女らが探しに行くのではなく、ひたすら彼らを待つだけである。それは行動派であるミナには耐えられぬ目的達成方法であった。もっともジークの方は流石に落ちついた物で、安宿の一室でごろごろしているだけである。
「それじゃ、行って来るね!」
そうやってミナが部屋を飛び出していく。セレナ達を捜す、という口実で街のバザーなどを見に行くのだ。特に誰かに狙われているわけでもない彼女だから、ジークもそれを黙認していた。
ファティマははっとなって路地を見た。緑の風を感じさせる髪がその路地の向こうに消えたような気がしたのだ。
「ね、ねぇ、セレナ……」
「ん?」
セレナは隣にいる。では、彼女が見たそれはなんだったのか。
ファティマは気になって走り出した。
「あ、ファティマ? どうしたの?」
ファティマは外見よりもずっと俊敏なその足で、路地を駆け抜けた。小さな曲がり角を曲がるとき、何者かにぶつかって、その反動で転んでしまった。
「あっ! ご、ごめんなさい!」
「いてて、それよりもお姉ちゃん、大丈夫?」
そこには緑の髪をした十五、六の少女が立っていた。緑の髪だ。紛れもなくセレナと同じような髪をして、腰まで蓄えている。美しい顔立ちで眉がすこしだけつり上がって、凛としている。目鼻立ちはやや小振りながら、端正にそれぞれの位置に着いている。美少女だった。
「緑の髪だ……ガイアの一族?」
セレナは思わず声を上げて驚愕を表現した。そして自らも思わずフードを取ってその髪を顕にする。
ミナはほぼ日課のようになったルートでバザーを覗いていく。ナルシャは小さな街なので楽しみなどこれくらいしかないのだ。ただ、交易の街なので小規模なバザーであっても日に日にその商品は変化していく。それが彼女の好奇心を満足させていた。
特に表通りに陳列されているものより、少し奥まった路地などでこじんまりと売られているもののほうが彼女は好きだった。知的好奇心の豊かさが見たことのないようなモノを求めているのだ。
と、その時彼女は緑の風を感じたような気がした。
セレナ?
ミナは神経を辺りに飛ばした。しばらく使っていなかった感覚だったが、錆び付く程時は経っていない。その鋭敏な感覚器に緑の影は捕らえられた。
「セレナッ!」
その姿をセレナと確信した彼女は、健康的な足を鹿のように踊らせて駆けた。
「セレナ!」
路地を曲がるなりミナは彼女の名を呼んだ。
そこには二人の緑の髪を持つ少女がいた。
「え? ミナ? ミナなの?」
セレナとファティマは立て続けに驚愕させられていた。
二人はうりふたつと言うわけではなかった。確かに背格好はそっくりだし、顔立ちも似たものを持っていたが、何処となく特徴がずれていた。だが、セレナにとってはシンシアと双子だと言われるよりも、この目の前の少女が双子だと言われた方が信じることが出来るくらいだった。
「よかった、セレナ! ファティマ! きっと……きっと、逢えると信じてたよ!」
ミナが微笑みながら、身軽に二人に抱きついてきた。驚きから抜けきれないまま、セレナとファティマはミナの身体を支えた。懐かしい香りがした。
「ええと、それで僕は何でしょう?」
ファティマの追った緑の髪の少女は苦笑した。
セレナとファティマが追ったその緑の髪の少女は、実は少女ではなかった。
「僕の名はセシル。こう見えても男だよ」
少年は三人の少女の勘違いに苦笑して応えた。
彼の話では、彼は旅芸人一座の一員で、演劇の役者なのである。そこでガイアの一族を演じているのだ。アステ・ウォールでは、ガイアの伝説が庶民にもまだ伝わり続けている。所によりそれは英雄伝説であったり、畏怖を込めた伝説であったりする。
「この髪は本物なんだけどね、でも役でおおっぴらにやってるとさ、みんな本物だって信じてないみたい。ま、それを狙っているわけだけどさ」
少年は無邪気に笑った。きっと彼も大なり小なりセレナに似た運命を背負ってきたはずなのだ。しかし強かった。
「でも、ホントに男の子なの? 失礼だと思うけど……とてもそうは思えない」
ファティマが緩やかに驚いた声で尋ねた。
セシルと名乗る少年は音を立てて笑って、説明をした。
「そうだね。お姉ちゃん達が僕くらいの男の子を演じろっていわれたら、多分無理じゃないかと思うけど、僕みたいな声変わりをしてない男の子がお姉ちゃん達を演じろって言われたら出来るんじゃない?」
三人はひとしきり納得して頷いた。なるほど、彼の言うとおり、舞台演劇で、その手の役回りは古くから存在している。
「で、お姉ちゃん達は? 土地の者じゃないみたいだけど?」
セシルから敵意も後ろめいた腹黒さも微塵も感じる訳もない三人は、それぞれのいきさつを彼に話した。主に話はセレナのモノだったが、セシルは無垢なその瞳を輝かせて相づちを打ちながら聞いた。
「すごいや、まるでなんかの物語みたいだよ」
他人事だから、笑える。よく感じる事だが、セレナはセシルは心から感動しているように思えた。
「でも、セシル君も気を付けた方がいいと思う」
「え? なんでさ? 僕を利用しようなんて奴はいないと思うけどな。第一、みんな僕のこと本物だと思ってないだろーし」
「そうじゃないの。例えば私と君が引き合ったように、ガイアの一族同士で引き合う何かがあるんじゃないかな。他のガイアの一族は何かやろうとしてるのよ……」
セレナはシンシアの顔を消して古くない記憶巣から取り出した。それだけで悪寒が走る。思えば、彼女たちの引き合いもガイアの一族同士の引き合いだったのだろうか。ただ、今までセレナやセシルが他のガイアの一族と出会わなかったのは、ただガイアの一族の絶対数が少ないだけなのだ。
四人は意気投合して表通りを歩いていた。ジークの待つ宿へ帰ろうとミナが提唱したからだ。一ヶ月ぶりくらいの再会にセレナ達は賛成したし、セシルも興味を持って会いに行くと言った。
「あとはアーディルだけか」
「大丈夫よ、アーディルが来ないはずないよ。そうでしょ?」
セレナが寂しそうに彼の名前を口にすると、ミナが活力に満ちた声でなぐさめた。その励ましはセレナにとって大きな力となるのだが、彼を信頼しきる彼女の心に微かに嫉妬を憶えていた。
「そのアーディルって人、やっぱり、セレナのいいひと?」
勘の鋭いセシルが意地悪な質問をセレナに投げかけた。
「えっ?」
あからさまにうろたえるセレナを見て、ファティマはくすくすと、ミナはケタケタと笑いはじめた。
と。
ざらつくような魔力がこの場を支配した。粘りのある漆のような魔力だと、後にファティマは記している。
セレナとファティマがそれに気付いた。魔法の心得のないミナとセシルはそれに気付くことは出来ない。ただ、辺りの空気が今までとは違うことをミナは経験から悟っていた。
「なっ?」
ファティマが声を上げた。突如、黒馬と黒塗りの馬車が現れて接近してくる。まるで質量を持っていないかのような速さだ。
セレナとファティマはそれに驚愕した。
「どうしたの?」
ミナが鋭く問いかける。
「ミナ! 馬車が来るっ!」
「馬車? 何処に……うわっ?」
ミナは何か鞭のようなモノに腕を叩かれた感覚に悲鳴を上げた。その力は相当の強さで、突然のことに彼女はよろめく。
「ミナ達に見えていない?」
その刹那、黒馬車から黒い触手のようなものがセシルを巻き付けた。先ほどミナを殴ったそれだ。
「うわああっ?」
セシルの身体が宙に浮く。その黒い触手が馬車の本体に取り込もうとしているのだ。
それが見えないミナにはセシルが霧に消えるかのように薄らいでいく。
「くっ!」
セレナはとっさに対抗呪文<カウンター・スペル>を唱えた。ファティマも同時に「解呪」の符を打つ。相手が魔法的物体ならば、この両者どちらかが対象を消すはずだ。
が、
「きゃあっ!」
二人がほぼ同時に悲鳴を上げる。魔法、呪術の発動と同時に黒い衝撃が彼女らの精神を激しく打ったのだ。魔法のレベルが違いすぎて、対抗呪文や解呪ははじき返されたのである。
黒馬車はセシルを取り込み、通りを消えていった。往来はかなりあるのに、それに気付いた人の様子はない。ミナと同じく見えていないのだ。
「今の感じは……」
セレナは驚愕していた。シンシアと対峙したとき、薄い記憶の中で彼女の波動と同じ者をあの黒馬車に感じたのだ。
セレナは弾かれたように走り出した。セシルを助けねばならない!
「セレナ? くっ」
ミナがセレナを追って駆け出した。
「ファティマ! 兎月亭だ! この通りにある。ジークを呼んで来るんだ! セレナの魔力を追跡できる?」
ファティマは一瞬の間をおいて素早く頷いた。そして弾かれたように駆け出す。
少し時間を遡ることになる。
青年は輝く太陽を煩わしそうに左腕で遮った。この大地に生きとし生けるものすべてがこの太陽の恵みがあるからこそとはいえ、この熱砂の大地の上では煩わしくもなるというものだ。
最も次に寄る街は眼前広がっている。青年の足どりは軽かった。
「多分、落ち合うならこの街だな。あいつ等だってそう考えるはずだ」
ぼそりと青年は呟いた。
俺の勘が間違っていなければ、な……
と、彼の視界に大型の鳥が目に入った。こう言った乾燥地帯ではハゲタカなどの猛禽類も少なくはない。だがその鳥は彼目指して、一直線に飛んでくる。ハゲタカなどは滅多に人間のような大型の動物を自ら襲うことはない。
「なんだ?」
彼は怪訝そうにハザのフードをあげて目を凝らした。
鷹の飛びかたは緩やかなので、あまり速度感がないが、そのスピードはとてつもなく速い。あっと言うまにその距離は詰まった。その鷹は彼の眼前で大きく翼をはためかせ、ホバリングの姿勢に移ると彼の肩に乗った。
「おいっ、カトゥル? カトゥルか! って事は、ジーク達がナルシャに拠っているってことだな」
青年、アーディル・アラムシードは顔をほころばせた。彼の脳裏に一人の可憐な少女の姿が映し出された。
ナルシャの街の規模はファティマがラルフと以前暮らしたノープルを二周りくらい小さくした街である。宿場街と呼べるものも一カ所しかなく、軒を並べる宿の数も少ない。彼女は簡単に兎月亭を見つけることが出来た。
かなりの距離を全力に近い速度で走ってきたため、息が乱れ、胸が高鳴る。
「ファティマ? ファティマじゃないか!」
聞き覚えのある声がしてファティマは振り向いた。太いジークの声ではない。
「アーディルさん!」
カトゥルを従えて歩くアーディルを見つけて、ファティマは彼の名を叫んでいた。
「この屋敷?」
「うん……多分。この屋敷からさっきの魔力を感じる」
ミナがぼそりと尋ね、セレナも緊張した面もちで頷いて応える。
「時間を稼げば、ファティマがジークを呼んでくるはず」
「でも、それじゃセシルが」
「それもそうね。相手は尋常じゃなさそうだし。私達だけでも行く?」
ミナは冷静に、だが何かを楽しんでいるような表情で呟いた。
「うん」
セレナの胸は焦燥で焼き付きそうだった。この屋敷からあのシンシアと対峙したときに感じた魔力の波動を感じるのだ。セシルのものではない、もっとおどろおどろした、自分の中と同じガイアの魔力を感じているのだ。
ミナはセレナの声に頷き、剣を確かめた。
「よしっ、いくよっ!」
ミナが身をかがめながら、疾走する。セレナもそれをまねて追った。一気に門を突破するが、幸いに人影はない。だがそれが逆にミナには不気味に感じたが、潜入した以上迷っている時間はない。素早く屋内に進入して、目立たないところで一息を付く。
「セレナ、向こうさんの動き、感じられる?」
「そんなにはっきり解るものじゃないけど……この奥に何か、いる。さっきの感じ」
セレナは神経を集中して魔力を探る。強力な魔力だ。見失うことはない。
「よし、じゃあ行くっきゃないね!」
ミナの声に二人は敏捷に廊下へ飛び出た。その廊下を突き当たりまで行くと、大広間にでる。この辺りの建築らしく、床も天井も壁も石造りだ。全体に白っぽいのは花崗岩のためか。その白さ故、小窓が幾つかあるだけでも部屋全体はぼんやりと明るい。
そこに男がいた。巨躯だ。ジークとほぼ同等ぐらいに思えた。
「あんた! セシルをさらってどうするのさ!」
この期に及んで物怖じするようなミナではない。大音量だが、美しさの損なわれない声で問いかける。だが、セレナは彼よりも奥に魔力を感じとっていた。
「ああ、さっきの緑の髪の小僧か……」
男はにやと笑った。三十は越しているだろうが、たくましい身体だ。かつては傭兵か何かで鳴らした男なのだろうか。だが武器は見えない。大剣や中剣と言った、服の上にもつ武器は、だ。
「ふふふ、待っていたよ」
奥から一人の青年が現れた。長身で髪を長くしている。まだ三十にはならぬだろう。だが、希有なる点はやはり緑の髪だった。セレナが驚いて彼を見る。先ほどからの魔力は彼のものだったのだ。
「セレナ・アスリード、君の話は聞いている。シンシアからね」
青年は髪を掻き上げて、セレナを見た。
セレナは自分とシンシアの名を聞き、驚愕した。
「あなたは一体? セシルや私をどうするつもりなの?」
「私の名はアルフレッド。君たちに来て貰いたい……いや『帰る』べき所へ招待しにきただけだね」
青年、アルフレッドは静かに言い放った。
「帰る場所?」
「来たまえ。君は知りたいはずだ。ガイアの一族についてをね」
アルフレッドは不適に微笑んでいた。その微笑みの裏に何が隠されているのか、セレナには想像も付かなかったが、彼女はためらいもなく一歩を踏み切っていた。
「セレナ!」
ミナが注意の声を促したが、アルフレッドの隣にいたはずの大男が、すぐ彼女の背後に迫っていた。
何時の間に!
ミナは戦慄した。いかにアルフレッドに注意を奪われていたとはいえ、易々と背後を取られるとは。
その隙に、セレナはアルフレッドへと近づいた。まるで夢遊病者のようなあしどりで、そして表情は硬かった。緊張だろうか、それとも不可解な術でも受けたのだろうか、ミナにはにわかに判断が付かなかった。
アルフレッドは一つ笑みを残して奥へと消えた。それを緩慢にセレナが追う。明らかに、いつものセレナではない。ミナはあわてて追おうとした。
「アルフレッド様を追うには、俺を倒してからにして貰おう」
いかにも自信ありげに言葉が飛んだ。何時の間にかミナの行くてを阻んでいる。巨体ながらその身のこなしは常人たる者ではない。
「ふん、あんたなんかで私の相手が出来ると思うの? それも丸腰でっ!」
ミナは軽く笑うと、長剣を抜いて踊りかかった。奇襲として申し分ない速力だ。
大男はそれに少し内心驚いて、直線的なミナの攻撃を紙一重で横かわした。その裏に回り、その遠心力で拳を背中に叩く。
その殺気を感じたミナは、勢いを殺さずに前に飛んだ。拳を受けたが、抗力を少なくすることでダメージを緩和するのだ。
「ちっ!」
体勢を整えながら、ミナが剣を構え直す。
「少しはやるようだ。俺の名はエレイン・バートン」
大男、エレインは嬉しそうに笑った。
「意外にやるじゃない……でもね、私は急いでるの! 私の名はミナ・リニファ、悪いけど憶えるのは死んでからしてもらうよっ!」
ミナは相手の戦闘欲に合わせてやるほど寛大でも戦闘好きでもないので、速攻を仕掛けた。彼女はセレナを追わねばならなかったし、相手が武器を取り出す前に決着を付ければ楽に勝てる。ミナは横凪に剣を振るった。
取れる間合いだ。ミナは勝利を確信した。相手に受ける術はない。
だが、彼女の剣がエレインを両断する感触を得ることはなかった。幻影のようにそれがかすむ。刹那、彼の身体はミナの腰下まで沈んでいた。そこから打ち上げるような拳がミナの腹部を捕らえた。
「ぐはっ!」
胃液がこみ上げ、肺の中の空気が押し出される。ミナは思いっきりむせた。意識が遠くなる。
しまった! 武器を持ってないんじゃない。武器を必要としないんだ!
ミナは自分のうかつさを呪った。相手は素手での攻撃手段を得意としているのだ。古代の暗殺者は丸腰という油断を相手に誘わせたものだ。
ミナは苦痛に転げながらも、間合いを取った。あれだけの痛みに剣を離さなかったのは、剣士としての矜持であろう。だが立ち上がった彼女の両足は、力強く大地を捕らえることは出来なかった。
「ちっくしょォ!」
かまわずミナは突進した。弱味を見せる訳には行かない。剣を振りかぶり、たたきつける。だがその直線的な攻撃はエレインに完全に見切られていた。
「がはっ!」
絶望的な空気の塊がミナの口から吐き出される。カウンターで膝蹴りがミナの鳩尾にめり込んでいる。二度の腹部への強打にミナはよろよろと後ろずさった。
そこへ足で剣を払われた。苦痛で動けないミナは簡単に剣を奪われてしまう。乾いた音が石造りの部屋に広がった。
ミナは愕然とした。それでも戦いを忘れぬ彼女は身構える。徒手空拳は苦手な方ではない。だが、相手はそれを専門とする。もはや彼女に勝ち目はなかった。
「くっ……」
ミナは後ずさった。しかし、セレナは奥に消えたままだ。あのアルフレッドの動向が気になる。諦めるわけには行かなかった。
隙をうかがう。一撃でも入れれば、その隙に剣を拾える。その瞬間にミナはすべてを賭けた。跳躍。俊敏さは彼女が得意とするところだ。エレインもそれに合わせて拳をふるうが、それをかいくぐって、ミナの当て身がエレインの巨躯へ決まる。さしもの彼もよろめいた。
ミナは躊躇なく床に転がっている剣へ飛びついた。それを拾い上げながら、立ち上がる。
刹那、悪寒が背筋を走った。
「バカめ、かかったな!」
エレインの巨体から延びる長い足が彼女の頭上に来ていた。そして死神の鎌のごとく、それは放物線を描いてミナの後頭部へと突き刺さった。
「あぐっ……」
その衝撃にミナの意識は揺らいだ。思わず手にした剣を落とす。そのままの勢いでミナは石床に突っ伏した。目の焦点が定まらない。いや、意識を失わなかっただけ彼女の精神力を誇るべきか。
その倒れた彼女の横顔に、エレインが右足で踏みつけた。
「どうした? それまでか? 私怨はないがな」
エレインの笑みは格闘家のそれとは違い、サディスティックな意味あいが十分に含まれていた。もはやミナに抵抗力はない。そう彼は判断したのだ。
「くっ」
屈辱に朦朧とした意識を解き放ったミナは、そのまま身体をひねって蹴りを放った。
「ほう!」
エレインは感嘆の声を上げたが、既にミナには彼を捕らえるだけの速力を持ち合わせていない。その足をエレインは左腕で裁くと、自らの身体をミナの背後へ行くような形で倒れ込んだ。そして足を脇に抱え込み、腕をフックさせてミナの首筋を締める。そして右腕で強烈に締めた。エレインの両足はミナの胴を万力のように締め上げる。
「うぐっ?」
ミナは苦痛の悲鳴すらあげられなかった。両腕こそ自由なれど、自分の足が頭の所まで来て、首を激しく締め上げられる。極めと締めにミナは意識が絶望的な暗闇に沈んでいくのを憶えた。
と、急に締めがゆるみ、身体を解放される。ミナはそれが何なのか解らなかったが、肺に空気を送るために四つん這いになって激しく咳き込んだ。
その横っ腹に強烈な蹴りが叩き込まれた。
もはや小さくなった悲鳴とともにミナが石床を転がる。激痛に身を縮めた矢先、今度は顎に爪先から蹴りあげられた。口の中に鉄錆が広がる。ミナは大の字に寝そべって、激しく息をした。小さな胸が激しく揺れる。それを愉快そうにエレインはミナの胸に蹴りを何度も入れた。
徐々にミナの衝撃への反応が鈍くなっていく。ミナは意識こそ失ってはいなかったが、痛覚が徐々に麻痺しつつあった。自分の身体が、何処か遠くに存在するかのようだった。
アルフレッドは随分と奥まった部屋へ入った。セレナもそれを追うようにその部屋へ入る。その部屋には扉の他は窓もなく空気が澱んでいた。セレナが入ると自然に扉が閉まった。
光源はたった一つのランプ。その淡い光が、弱々しくもその小さな部屋全体を照らいた。
「セシルは?」
セレナが問いかけた。緊張はあった。だが何の疑問を持たず、何故彼に付いてきてしまったのか彼女自身良く解らない。
「ああ、あの少年か。一足先にアステ・ウォールのガイアの塔へ向かって貰った」
「ガイアの塔?」
「我々が根城としているところさ。聞いたことはないかね? ガイア教の総本山たるところだ」
「伝説で、ガイアの一族が残した遺跡の一つ……」
記憶にかすむ事象をセレナは呟いた。小刻みに揺れる陰影が、幻想的だ。
「伝説などではないさ、我々はそこで真実を得ている。古代封滅させられたガイアの一族の復活は目の前まで迫っている」
「どういうこと?」
「そうだな。いいだろう……ガイアの一族とはかつて強大な魔法文明を築きあげた人間とは異なる、少数のヒトの眷属なのだ。しかし、人間達はそれを脅威に思い、何らかの方法でこことは異なる空間へガイアの一族を封印したのだ。だが、ガイアの一族は復讐を忘れてはいなかった。彼らの持つ秘法の一つで、霊子の端子を人間達の中に埋め込んだのだ。何時か、彼らがこの世界へ帰ってくる日のために、我等は存在するのだ」
アルフレッドは饒舌になっているような気がしたが、かまわなかった。この手の演説は宗教者である以上、必要不可欠であった。しかし、今は宗教論ではない。
「彼らは自然を愛し、このアルカーティスの大地とともに文明を栄えさせた。だが、今はどうだ? ヒトはお互いにお互いと争い、大地を汚し、森を砂に変えてきてそれを省みようともせぬ。そして、私は封ぜられしガイアの一族を解放し、人間どもを駆逐しこの大地をその力を持って緑へと戻そうと考えた。セレナよ、私と来ぬか」
「私は……」
「緑の髪だと言うだけで、酷い目にあっただろう。ヒトとはそう言うものさ。所詮、自己の満足だけが一喜一憂すべき対象だ」
セレナは目を閉じた。今までを思い出す。微かな幼い頃の記憶。両親と旅をした記憶だ。いつもやつれていた記憶だ。ようやくたどり着いた安住の地は、悪夢のような一夜で廃塵に帰した。
「セレナよ、オマエは人間を憎んでいるだろう?」
セレナ床を見つめた。
「人間への復讐を果たし、我等の王国を築こう」
だが、記憶には鮮やかなものがある。アーディルの、ミナの、運命を共にしてくれる人間達の顔だ。
「ちがう、ちがう! 私はそんなものを望んじゃいない!」
セレナは激しく首を振った。
「違わないな、オマエはこの世界を憎んでいる」
セレナははっと顔を上げた。すぐそこにまでアルフレッドの瞳があった。その銀色の奥の深い瞳にセレナは慄然した。何か射すくめられたように身体が動かなかった。とてつもない魔力で全身を縛られたかのように、動けない。
「あ……」
全身を恐怖に支配されながら、セレナは唇を奪われた。はじめての唇だった。体は動かなかったが、涙はこぼれていた。アルフレッドの舌がセレナの口内をくまなく犯した。屈辱でしかないのに、酒を飲んだときのように頭がぼんやりとして力が抜けた。身体を傾けるとそこには冷たい壁があった。
「美しい……」
アルフレッドはセレナの唇を解放すると、形の良いセレナの頬から顎にかけてのラインを中指でなぞった。
セレナは悪寒を憶えた。通常の感触ではなかったからである。そこに肉体がないような、不可解な何かが自分の身体に触れているのだ。
「っ……」
微かにセレナは悲鳴を上げた。
アルフレッドのようなそれは、セレナの着ている服を無視して、直接のその柔肌に触れた。セレナはそのどろりとした感触に恐怖を憶えた。そして、それは彼女の乳房をいたぶりはじめた。さして高くはない、だが形のいい頂上からその谷間に至るまで。
「ふ……ん」
セレナは性的な経験を持っていなかったが、年齢を重ねるに連れ、その知識は仲間内でのうわさ話で知るようになる。その行為が何であるのか、よく知っていた。
陵辱の中、脳髄が熱くなっていくのがわかった。下半身の彼女の女は湿り気を帯びていた。
何故? 何故こんな得体の知れない、知らない男に!
今やその物体はセレナの乳房に飽き、彼女の女の部分や、太股をなぶっている。彼女自身の意志と反して、全身の感覚器は異常なまでに敏感にそれを伝えた。
「アーディル……アーディルぅ……助けてぇ……」
意に反し火照る身体を憎みながら、セレナは心の中で愛する男に助けを呼んだ。そして愛する男の名に気付き、今の自分の罪の深さに意識を奈落へと落とした。
彼らがついにその部屋に突入したとき、壮絶なものを見た。
「ミナ……酷い」
ファティマがまず、悲鳴的な声で呟いた。
その部屋には大男と力無く横たわったミナがいる。ミナはいつもの薄着な服はボロボロに裂け、露出している部分は痛々しく腫れ上がっていたり、内出血をしている。それ以上に彼女の活力に満ちた愛らしい顔は、打撲で醜く腫れ上がっていた。
「遅いよ……ジーク」
ほぼ視界が効かなくなっていたミナであったが、それでも気配を感じてそれがジーク達のものだと気付くことが出来た。
「……ミナ」
低く、かすれた声でアーディルが呟いた。
アーディルがいる!
ミナは愕然とした。慌てて、それでも緩慢とした動きだが、ミナは首だけを動かし彼らから顔を合わすのを避けた。見られたくないのだ、この醜く情けない姿を。
「てめぇだな、ミナをここまでしやがったのは」
アーディルはすらと剣を抜いて前進した。
「よせ、俺がやる。お前では……」
ジークが叫んだ。だが、アーディルの背中からほとばしる怒気に圧倒された。
ミナがここまで負けたのである。戦いには様々なものがあるとはいえ、一対一ではミナはアーディルの上を行っているだろう。ジークはそう見ている。それは天性の領分だ。ミナは剣士の血筋であり、幼少から修練を重ね、剣の才能を磨き上げてきたが、アーディルは盗賊だ。その技術なら誰にも負けないだろうが……
「ミナは女だぞ。それを……」
「ふん、お前も同じようにしてやるさ」
エレインは不適に微笑んだ。剣士や格闘家でも一流ともなると、気配で相手の力量を測ることが出来る。その相手がまとう空気の言うものを感じ取れるのだ。明らかにエレインには前に立つ男からの気配は、あの少女のより劣っている。
アーディルは鋭い眼光のまま、剣を下げた。いつでもかかってこいと言わんばかりだ。だが、エレインとて歴戦の戦士である。たやすく挑発には乗らなかった。
アーディルが跳んだ。急激に間合いを詰める。
その速度はミナのそれと同等であり、エレインはその刹那の間で彼を一笑に付した。この男も大したことはない、と。
「アーディルめ……」
その瞬間、ジークは舌打ちした。彼はアーディルの勝利を確信したのである。
エレインは間合いを詰めるアーディルに向かってカウンターで肩を入れようとした。彼のイメージにあるのは、ショルダータックルから回転を加えて突き上げる肘鉄である。
が。
彼の肩に手応えはなかった。彼の肩がアーディルを捕らえようとしたその一瞬、アーディルの速度はエレインの予想を遥かに超えた。
両者が交錯する。アーディルは冷たい表情のままで、エレインは驚愕の表情で突っ起っていた。アーディルの持つ、剣から紅い雫が石畳へと落ちた。その数瞬後、エレインは自らから湧き出る血泥にその身を埋めていた。
「ミナの速さにならされたのがお前の敗因だな」
アーディルはそう独り言のように呟くと、横たわるミナを抱いた。
ジークとファティマも急いで駆け寄る。
「大丈夫、ちゃんと治るわ……これくらいの傷。私が何とかするから」
ファティマが優しく言い聞かせた。彼女も女だ。命とも言える顔の傷を気にかけている。優しい声で祝詞を唱えて、ミナの傷の痛みを和らげる。即席の呪術ではこの程度しかできないが。
「アーディル。セレナが……セレナがやばいよ。奥に連れて行かれたんだ」
ミナが苦しそうに呟いた。喋ることすら、激痛で億劫だったが、これだけは伝えねばならないと思った。
「あのコ、ずっと待っていたと思うよ……アーディル、に、逢える、コト」
彼女は痛々しく微笑んでいた。傷の痛みか、心の痛みか、自分自身では良くわからなかった。ファティマの優しげな祝詞が心地よかった。
「わかった。もう喋るな。ジーク、ファティマ、ミナを頼む」
アーディルはミナに一つ微笑んでから、駆け出した。アーディルは恋い多き男ではなかったが、それほど疎いわけではなかった。ただ、セレナの存在がある限り、ミナの想いに応えることが出来ない自分を知っていた。それを彼女も知っている。だから、アーディルはミナに負い目に似た感情を抱くのだ。彼はその場から逃げるように走り出した。
その密室は、淡いランプの他に光源はなく、狭く息苦しい部屋だった。たった一つのドアだけが、外界とのつながりである。そこに緑の髪を持つ少女は倒れていた。
「セレナ!」
アーディルは彼女の名を呼んだ。
辺りに他の人影はない。ただ、彼女が倒れている。かなりの声量で叫んだに関わらず、セレナは仰向けで堅く瞳を閉じていた。外傷はない。
「おい……」
アーディルはセレナのそばへ寄って、膝を落とした。小高くなっている胸の部分が一定の周期で揺れる。息がある。
「意識を失ってるのか……」
一つ、彼は安堵のため息を付いた。セレナのさして重くない体を抱き上げると、なつかしさがこみ上げてきた。離れていたのは本のわずかな時間だろう。だが、心はこの再会にうそを付くことなく踊っていた。
セレナは翌朝意識を取り戻した。特に何か障害があったわけではなく、いつもの朝をと変わらない寝起きであった。ここは兎月亭の一室だった。
セレナはと、ある瞬間を思い出した。ライゼルでの事だ。確か、ハインリッヒに捕らわれて、救い出された翌朝もこういう目覚めをしたような気がする。
そして、昨日のことが脳裏に鮮やかな色を持って蘇る。
セレナは左手で胸の辺りを押さえた。そして激しく衣服を握りつぶした。
その上に大粒の涙が落ちた。止めようもないそれは、セレナの頬を伝わって落ちていく。
と、ドアが開いた。
「セレナ?」
それはアーディルだった。不思議とセレナはアーディルが助け出してくれたことを感じていた。すぐ側にアーディルが帰ってきていることを、無意識に感じとっていたのだ。
セレナは振り向きもせずに、涙も止められずにいた。
「どうしたんだ? なあ……」
アーディルは怪訝そうに、だが慎重に問いかけた。
セレナは押し黙ったままだった。
アーディルは小さく息を付いて、手にしていたミルクのマグカップをテーブルに置いて、椅子に腰を下ろした。
沈痛な静寂が辺りを支配した。
セレナはうつむいたままで押し黙っていたし、アーディルはセレナから話さないならば、これ以上問いかけるつもりはなかった。
数瞬の時が流れて、二人は時間の感覚が曖昧になっていたが、セレナはその唇を動かした。あまりにも微かな声で、その声もかすれていたが、アーディルにははっきりと聞こえた。
「セレナ、今、何て……」
アーディルは驚愕してセレナを見た。
セレナはうつむいたまま、もう一度唇を動かした。
「抱いて」
アーディルは立ち上がってセレナのそばに寄った。
「何があったんだよ……一体」
「抱いて欲しい、汚して欲しいの、あなたに」
「……セレナ」
セレナは自然に涙が止まっているのに気付いた。涙が枯れたわけじゃない。彼女はそう思いたかった。
「アーディル……お願い」
アーディルは返答に窮した。
男女がお互いを好き合っていれば、いずれ関係を持つようになるのは極自然なことで、アーディルもそれは良く知っている。何時か自分たちもそうなるのかもしれない。考えぬ事ではない。だが……
ひとつ、大きく息を吐いた。
「何か、何か違うんじゃねぇの?」
セレナは無言でアーディルを見た。アーディルはセレナの瞳を見た。
「わかった」
アーディルは身をかがめると、セレナの唇に自身の唇を合わせた。鼻にかかる息すら心地よかった。セレナの長いまつげに溜まっていた涙の雫がセレナの頬を伝っていった。二人は、お互いを重ね合った。身体が邪魔に思えるほど、二人はお互いにお互いを重ねた。それは現在という瞬間しか感じない世界だった。過去への後悔も、未来という不確定要素への不安もない世界だ。それは二人の精神を心地よく白く、白くさせていった……
だが、彼女らが愛し合うのは、これが最初で最後になる。
不満そうな声だった。
「泳がせて置いてよろしいのですか?」
「なに、かまわぬよ。彼女はここに来るしかないのだ。違うかい? シンシア」
アルフレッドがにやと笑った。
「しかし……」
「妬んでいるのだよ、君は。良いじゃないか、もう少し夢を見させてやろう。それよりも、この魂を捧げよう。私達の為に、ね」
アルフレッドは紅く染まった左腕をシンシアに向けた。鮮やかなそれは、まるで彼自身が血を流しているかのように、重力に引かれて落ちて行く。その手のひらには女性の拳大の塊が収まっている。
それはかつてセシルという少年の生命の源であったものである……
