ヴァルディール軍は城内に追い詰められ、執拗なフェルナーデ軍の攻撃の中、正規の騎士や兵士は数えるほどしか残っていなかった。市民たちは義勇軍を募ってその抵抗戦争に身を置いたが、戦えるものは徐々に姿を消していった。
ヴァルディールの城内に残されたものは、老人女子供、戦えるようなものはごくわずかでしかなかった。その絶望的な状況の中この状況まで兵と民衆を率いて戦った公王の子、アーヴェント・デ・ヴァルディールは最後の奇策を演じた。
明日にもフェルナーデ軍の総攻撃が始まろうと言う夕刻、固く閉ざされていたヴァルディールの城門は突如として中から開かれた。
ついに投降かとフェルナーデ軍の誰しもが思った。ヴァルディールにまともな戦力がないことは、フェルナーデ軍も良く知っていたからだ。
だが、現れたのは赤揃えの軍服を着た、騎兵たちだった。
フェルナーデ軍の見張りは戦慄した。その姿は彼らを散々に苦しめたヴァルディールの精鋭、赤騎兵のそれだったからである。
しかし、彼らは度重なる戦いにそのすべてが戦死したはずだ。
見張り達が自慢の目で良く見ると、その赤騎兵たちはぼんやりと薄い霧の中に包まれて、そのうえ、みな赤い頭巾で顔を隠していた。それはこの世のものとは思えない不可思議さを演出していた。
「し、死神だ。赤騎兵の奴ら、死の世界からよみがえってそれでも守ろうとしてやがる」
見張りの一人がおびえて言った言葉は、たちまち全軍へ伝播した。
ヴァルディールの赤騎兵の先頭に立つ男が、その指揮棒をふるった。それとともに、騎兵の全軍がすさまじい勢いでフェルナーデ軍に襲いかかった。
怯えが伝播したフェルナーデ軍は見苦しいほどに乱れた。
赤き死神たちの襲来にまともに抗戦しようというものはおらず、指揮は乱れ、重厚な陣は烏合の衆と化した。
大混乱を数時間でおさめたのはジョアンの手腕を評するべきところだったが、ヴァルディールの騎兵たちはその間、陣を走り抜け、そして亡霊のように姿を消した。
その後、開場されたヴァルディールに軍を進めたジョアンだったが、ヴァルディール城内はすでにもぬけの殻で、人ひとり残っていなかったという。
それ以来、ヴァルディールの赤騎兵を見る者もいなかった。本来存在しないものが大軍を乱した、ヴァルディールの亡霊の伝説はここに始まっているといえよう。
この時の事実を俯瞰するとこうである。
ヴァルディールにはまともな戦力と呼べるものはなかった。しかし、物資に至っては潤沢であり、装備に関しては不足はなかった。すなわち、この時赤騎兵を演じたのは、乗馬ができる一般市民がほとんどであった。無論彼らに戦闘技術はなく、フェルナーデから反撃があればたちまち全滅は必至だった。
またフェルナーデ軍の勝利は目前であり、軍全体に緊張感が失われていたのは事実だった。その弛緩に加え、兵士たちは無事生還できるという目標が目の前にある中、彼らの同僚を苦しめ死に至らしめた赤騎兵が再び目の前に現れた。彼らが死神であれ現実の存在であれ、生還を目前にした兵たちは、とにかく生きて帰ることを考えてまともな戦闘を避けたのである。
趨勢が決まった戦いの中、一時的にフェルナーデ軍を大混乱に陥れ、アーヴェントは生き残ったヴァルディール市民を率いて城内から逃げ出すことができたのである。当時十五歳の少年が取った策は、大胆と言えば聞こえが良いが、成功率の低い賭けであった。しかし、その作戦に市民が皆賛同したという、その少年に少年に人を惹きつける力があったというのは事実だろう。いくつかの要因が奇跡を起こし、ヴァルディールの歴史の最後に華を添えた。
その後、アーヴェントをはじめヴァルディールの市民たちは各地へ散り散りになっていった。しかし、待てば死か蹂躙の運命だけであった市民を彼は救ったのである。
「その時だったな、これを受け取ったのは」
フェデルタは当時六つだ。他の記憶はもうかなり掠れてしまっているが、それだけは覚えている。
勇敢で優しく、そして皆に慕われていた兄の姿を。
渓谷を下る途中、兄は言った。
「私とおまえはこれから別々の道を行く。どちらかが仮に敵の手に落ちようが、必ずヴァルディールの血をつなぐためにだ。これをお前に渡そう。これがヴァルディール家の証明となる」
アーヴェントは目を細めた。
「あれから十六年か」
アーヴェントもフェデルタも大人になった。
アーヴェントについた臣下も長い逃避行の末に脱落し、今や腹心のレオニード一人となっていた。まだ幼かったフェデルタには何人かの護衛がついたが、いつの間にか散り散りになり、一人森をさまよっていたところを、帰途に就くジョアンに保護されたのである。
「まさかフェルナーデの近衛騎士になっているとは思わなかった。いや皮肉ではない、立派になってうれしく思うぞ」
アーヴェントはフェデルタと別れたのは十五歳。記憶もはっきりしているし分別もあるころだ。そのアーヴェントの認識とは違って、フェデルタはあいまいな記憶しか持っていない。兄弟がいた記憶はあれども、それほど親密感を得るのは難しかった。
「俺は……少しは覚えている。だがヴァルディールにいたころの記憶はほとんどない」
その記憶は確かに彼の中にあり、セリオスからこの任務を受けたとき彼が断わらなかったのは、かすかに残る記憶の故郷を見てみたいという意志もあったからだ。だが、愛着も執着もこの廃都にはなかった。
「だから、あんたの……いや兄さんの気持ちはわからない」
フェデルタは正直に言った。ひねくれた彼が素直に心情を明かしたのは、それだけ戸惑っているということだった。
「そうか……そうだな」
アーヴェントはあの日別れた、幼い顔を思い出して自分を納得させた。
「兄さんがここにいる理由は、まさかあの野盗たちを率いて、ヴァルディールを再興させるためか?」
フェデルタの質問に、アーヴェントは即答しなかった。
「この滅びた都を再興させる? 都とは人が集まってこそのものだ。彼らもこの廃都の残された財宝に興味があるだけだ。この捨てられた都にはもう人は戻らない。だが、私にはやるべきことがある。いや、私たちヴァルディールの家の者が、代々守ってきた使命と言うべきか」
アーヴェントは遠くを見るような表情で言った。フェデルタはその事を当然知らない。
「使命だと?」
フェデルタは聞き返した。
「その使命はあの宝物庫の中にある。我らヴァルディールの家の者はそれを守護する役目を追っている。私はそれを十六年も放置してしまったがな」
アーヴェントは笑って言った。
「私たちの先祖、このヴァルディールを拓いたアリオン・デ・ヴァルディールは、なぜこのような辺境に国を築いたか……それはこの地に豊富な資源があったからではない。この場所には特別な意味があったからだ」
アーヴェントは真剣な面持ちで言った。
「おまえは、『魔物』と言う存在を知っているな? おまえは聖別されたを銀の弾丸を持っていた。こんなもの普通の戦いに使うものではない」
アーヴェントの発言にフェデルタは驚きの表情を浮かべた。アーヴェントが知る由もないが、フェデルタはアーヴェントの言うように魔物と戦う聖杯の騎士の一人だ。
フェデルタはアーヴェントが魔物の存在を知り、その対処方法を知っている人間だと認識した。フェデルタは自分とマリアがセリオスが組織した『聖杯の騎士』の一員であることを説明した。
「なるほど、セリオス陛下はいち早く魔物に対して対抗策を打っておられたか」
アーヴェントは感心してため息をついた。
「つまり、ヴァルディール家の使命とは魔物に関わることか」
フェデルタは声を低くして言った。魔物に関わること、それは緊張感なくして語れるものではない。
「うむ……その通りだ」
アーヴェントは深く頷いた。
「魔物とは、本来この世のものではない」
アーヴェントの言にフェデルタは頷いた。何か証明があっての同意ではない。だが、魔物がこの世のものではないことを彼は感覚で感じていた。それはおそらく同じ聖杯の騎士である、レルシェルやマリアもそうであろう。
「ならばどこから現れるのか、その疑問があるだろう。彼らが現れる異世界とのつなぎ目は世界各所にあるようだが、このヴァルディールはそのひとつなのだ」
フェデルタは神妙な顔をした。セリオスが王位を継ぐ前とはいえ、なぜ十六年もフェルナーデはそのような重要な地点を放置したのか。
「ヴァルディールがそのような重要な場所と言うことは、四〇〇年の月日の中で人々の記憶から失われた。魔物の存在が人々の意識から消え失せたようにな。だが、放置するわけにはいかぬ。だから私は帰ってきたのだ」
アーヴェントは強く言ったが、フェデルタには彼の表情に疲れがあるように感じた。アーヴェントは国を失いつつも、己に課せられた使命のために奔走してきたのだろう。血を分けたフェデルタはどこか罪悪感を感じた。
「しかし、私は運がいい」
アーヴェントはフェデルタに笑いかけた。
「おまえは立派に成長し、魔物に対抗できる人間に育っていた。それがこのヴァルディールで再開できるとはな。しかも錬金術師を連れているとは」
ヴァルディールの異世界とのつながりを封印しているのは錬金術だと言う。だが、腕の立つ錬金術師はたいていが国家に属しており、アーヴェントはその人材を得ることができなかった。フェデルタらがここに現れたことは僥倖であった。
フェデルタはしばらく沈黙していた。複雑な心境が彼を黙らさせていた。
「俺は……あんたに協力すると言ってはいない」
フェデルタは彼らしくない、困惑した声で言った。
アーヴェントはその声を聴いて、フェデルタをしばらく見つめた。
「そうだな、突然現れて肉親だ、家の使命だと言われても納得がいかないな……私もここでお前に門番をしろとは言わぬ。お前はお前の行く道があるだろう。だが、このアリオン公が所持していた聖剣の一つ『グングニール』がその封印と共に眠っていると聞けば、興味がわかないか?」
アーヴェントは意地悪く笑って言った。
使命に純粋に生きてきた男と思っていたフェデルタは驚いた顔を作った。思えば、フェルナーデの大軍を詐欺まがいの策略で騙しきった男だ。交渉術の一つや二つ心得ているに違いなかった。
「なるほど、それは興味がわく話だ。それに異世界の接点……地獄の一丁目とやらも見てみたいと思ったところだ」
フェデルタも笑い返すと、アーヴェントの企みに乗ることにした。
フェデルタとアーヴェントはマリアたちに地下宝物庫の前で追いつき、人払いをさせると彼女に事情を話した。
ヴァルディールの家の真相と、フェデルタの出自には彼女も驚いたが、封印についてはさほど驚いた風ではなかった。彼女は錬金術師たちに纏ろう噂から、ヴァルディールの地下宝物庫の秘密は逸話としてあったからである。
彼女がセリオスからこの仕事を請け負ったのは、その事実を確かめたかったのもある。無論、そこに聖剣『グングニール』があるという事実もだ。魔物をいともたやすく滅ぼす力を持つ聖剣は、四〇〇年以上前に天使から賜った武具と伝わるが、その実態はよく知られていない。武具である限りは物質であるには違いないため、世の錬金術師はそれに強い興味を示している。特に彼女の父、アラン・ベネットはついにそのレプリカを作り上げたほどだが、実物が確認できないため、どこまで本物に近づけたかは未知のままである。
マリアはヴァルディールに本物の聖剣が実在しているのであれば、絶好の機会であると考えていた。
「わかりました。封印を解きましょう。いえ、ほおっておいてもあの封印はあと数年で崩壊するでしょう」
「どういうことだ?」
マリアの言にアーヴェントが問いただした。
「錬金術による封印は、正式な手順を踏んだもので、素材もしっかりしたものであれば一〇〇年でも二〇〇年でも保つことが可能です。しかし、簡易的なものであれば、その劣化は早い。今の封印は一六年前に、慌てて掛けられたものです。それもヴァルディール式暖簾記述ではありません。ルテティア式のものです」
マリアは冷静な口調で説明した。
「ここからは推測です。たしか、ヴァルディール戦役のとき、ヴァルディール落城の後、先行した部隊が返ってこなかったと言いますが、おそらくここの封印を解いたのでしょう。堅固な封印を解いた跡があり、其のうえから雑な封印をかけられています」
フェデルタは顎に指を置き、マリアの言葉に続いた。
「つまり、封印の向こう側は魔物の世界に近い。そこから現れた魔物に奴らは殺された。生き残ったか死んだかはわからんが、そのうちの錬金術師が、とっさに封印をかけたってことか」
フェデルタの推測にマリアは頷いた。そしてその封印は、今破れかけていると言う。
「どうしますか? 封印を解けば魔物が現れて、一六年前の惨劇を繰り返すことになるかもしれません」
マリアはアーヴェントに向かって言った。
アーヴェントはじっと扉を見つめた。因縁を、宿命をにらみつけるかのように。
「いや、この封印自体が、魔物との世界を隔てているわけではない。私はそう聞き伝えられている。本当の封印は聖剣『グングニール』自身にあると……」
