遅れてきた小田桐拓郎がその雰囲気の和やかさに首をかしげた。
その様子に気づいた森川は表情をやや硬質なものに変化させた。
「悪いな、ちょっと教室を抜け出すのに時間がかかった」
沢渡が何か文句を言おうとしたが、それを森川がさえぎった。
「沢渡が相談を持ちかけたのは聞いたわ。巻き込んじゃったみたいで……」
「いや気にしなくていいよ。こういうのは好きなんだ。女の子を助けるためならなおさらだね。この子が夏希ちゃん? いや意外とかわいいね」
「こら、夏希ちゃんは人見知りするんだ。ナンパするな」
小田桐はいつものような軽い口を叩いて沢渡に小突かれた。
「こいつは小田桐拓郎。通称『オタク』こういう風に見えて、オカルトに……に限った話じゃないけど、いろいろなことを良く知ってる。今回の事にも役に立つと思う」
沢渡が小田桐を紹介した。小田桐はよろしくと手を差し伸べた。差し伸べられた手に夏希はおもわずたじろいてあたりを見た。杉村は不思議そうな顔で彼女の視線を捕らえ、森川も同じような顔をした後、安心させるように微笑を浮かべた。
「あ、あの。川村……夏希です。よろしくおねがいします」
夏希は恐る恐る小田桐の手を握った。視線は屋上のコンクリートからはなすことが出来なかったが、彼女としては精一杯の努力だった。
森川はそれを見て満足そうに微笑むと、表情を一変させて独特の凛とした緊張感のある声で言った。
「で、私たちはまだ何も相手のことについてわかっていないし、対処方法も手に入れていない。このままではまずい。特に私と夏希ちゃんにとっては」
皆が各々の表情で頷く。
「で、小田桐くんの意見は?」
「俺は直接見たわけじゃないからな……沢渡の話から聞くと、人形が動き出したそれは木霊の仕業じゃないかと思う。何かのトリックを使ったとかそういうのがないならね」
木霊とは木や森に宿る精霊だ。古くから名を持つ精霊で、やまびこなども木霊の仕業だと昔は信じられていた。木や森に関する超常現象、特にこの国では自然信仰の一部で森や木といった木霊にまつわる神社も多い。
総じてそれらは霊力が高く、木霊の宿った人形が動いたという推論だ。
小首をかしげる夏希らに小田桐はそう説明を加えた。
「木霊か……それは私も考えたわ。じゃあ、コレはどう思う?」
森川はポケットがから木偶人形を取り出した。ネット上のオカルト集団エンジェルハイロゥのオフ会で『降夜』と呼ばれる音楽を聴いて眠らなかった人間に渡されるそれ。そして、それを持つ者が変死を遂げたり、不可解な自殺に陥っている。
それが今、夏希と森川の手の中にある。夏希はそれを思い出して唾液を飲み込んだ。
「そうだな……ヒトガタってやつかもな」
「ヒトガタ?」
「それは人を模った紙だったり人形だったりするわけだけど、人の形に近いものに霊魂が宿るってハナシさ。良くあるだろ? 生き人形の怪談話とかさ。犯人……と読んでいいものかどうかはわからないが、そいつは殺したい人間にそれを渡して、殺すなり催眠術なりで自殺させる。そして、魂が乗り移った人形を持ち帰る」
遺体には持っていたはずの木偶人形が亡くなっている。これは事実だ。
森川は唇を噛んだ。
「そんなもの、持ち帰ってどうするつもりなんだろう?」
沢渡の素朴な疑問には小田桐は首をすくめて横に振った。そこまでは彼の考えは及ばないようだ。
「あの、ちょっといいかな。話がぶっ飛んでていまいち把握しきれない……」
まっとうな反応だろう。杉村は難しい顔でつぶやいた。
「つまりこういうこと? 犯人はエンジェルハイロゥってとこを通じて、人を集めて殺そうとしている。そして殺した霊魂を集めているってことか……でも、なんでエンジェルハイロゥに集まった人間全てを殺さないんすか? そっちのほうが手っ取りばやい」
杉村は自分を納得させるように言葉を紡ぐ。
「それは多分、全員を殺してしまうとあからさますぎるからよ。それに誰でも言いというわけじゃなさそうなわけだし」
森川は木偶人形を揺らした。エンジェルハイロゥでこの木偶人形を渡された人間が不可解な死を遂げている。今彼女らにわかっているのはそれだけだ。あまりに情報が少ない。森川は視線を誰もいないところに移した。
「あの……私、心当たりがあるんです」
夏希が唐突に口を開いた。皆の視線が一斉に夏希に向いた。多人数に注目されることになれていない夏希は、心臓が一つ大きく鳴った。深呼吸し、右手で胸を押さえた。
「香津美の前に一人自殺者が校内ででましたよね? その時見たんです。おそらくその死んだ人が持っていた木偶人形を拾っている人……」
四人の目が驚愕に見開いた。
「それって、あのときの?」
杉村が問い掛ける。夏希は慎重に頷き、言葉を続けた。
「その人は三年生の水上鏡子先輩。学校のパソコン演習室でエンジェルハイロゥについて調べようと思って、私パソコンわからないから困っていたらその人が教えてくれたんです……ただ、エンジェルハイロゥについてはなにも知らないような様子でしたけど」
夏希の言葉が途切れて静まり返る。
わずかに風が吹いて同時に昼休みが終わる予鈴が鳴った。
「調べてみる価値はありそうね」
森川の言葉を合図に各々の教室に戻る空気になった。
「じゃあ放課後、その水上ってのを調べてみますか」
沢渡が元気よく言った。小田桐や杉村が頷く。だが、森川は厳しい視線で沢渡を見つめた。
「悪いけど、沢渡達はこれ以上関わらないでくれないかな」
「恵理? なんで?」
「人が死んでいるのよ。それも近いところで。私に夏希ちゃんと同じ痛みを味あわせないで」
森川の裸の言葉は、耳にした全員に鋭く突き刺さった。
意味もなく、何の生産性もないと思われる他愛ものない会話。それでもそれなしで生きていくのは、非常に困難だ。霧依は通学路をクラスメートたちとやはり無意味で非生産的な談笑で自宅に向って歩いている。
霧依は自分に向けられている遠くからの視線に気づいていた。
「ごめん。私ちょっと用事思い出した」
霧依はグループからそういい残して一方的にさよならをした。少しはなれて公園への道を取る。背後から霧依は勝手だとか、また付き合い悪いとかの声が聞こえてきた。彼女たちは聞こえないように言っているつもりだが、霧依の鋭い感覚はそれを捕らえてしまう。
霧依は小さくため息をついた。表面上仲のいいふりをしていても、そうでないこともある。それでも彼女らとの会話自体は嫌いではなかったから、あえてそれを他の場所で問い詰めようとも思わない彼女である。
ただ、ため息があらわしていたのは、その友人たちを危険に巻き込まないために、一人離れたというのに陰口を叩かれているやるせなさだった。
そしてその危険は彼女の前に現れた。
背が高く均整の取れた身体。彫刻のような端正な顔。それを包み込む学生服がもったいないほどの少女だ。霧依とて並外れた容姿を持っているが、それを差し引いてもその少女の姿は際立っていた。
「一人になってくれたのね。私は水上鏡子、よろしくね」
鏡子は優美な微笑を浮かべて霧依に近づいた。彼女は霧依が意図的に友達から別れて、彼女をひきつけたことを理解していた。
「あなたが、殺しているの?」
先日、友人の瞳が偶然会った沢渡達が話していた、それだろう。霧依は直感でそれを感じて前哨戦を省略した。霧依が感じた鏡子のただならぬ雰囲気は外見のそれをはるかに超えていた。生理的に圧迫感を感じる。蛇に睨まれた蛙とはこのことだろうか。呑まれないうちに自分のペースへ持っていかねばならない。霧依はそう思った。
鏡子はそんな霧依を見つめて目を細めた。何故この少女が真実に気づいているかはわからない。カンのよさそうな少女だ。何かをかぎつけたのかもしれない。
「知っているのね? でも、少し違うわ」
鏡子はゆっくりと霧依に近づいた。霧依は喉の奥がからからになっているのを感じた。足を動かないように意識する。後ろに引くのは嫌だった。
死ぬことは怖くない。彼女はそう思っていた。だが、意識や言葉と裏腹に身体が硬く強張ってくる。所詮強がりなのか。彼女はそう思った。
「……少し違う? そうね、あなたの眼は殺人者には見えない」
霧依は必死でことばを吐いた。挑発的な表情を作ってみせる。霧依は続けた。
「あなたの中にはもう一つ何かを感じる。それは私とマリアの関係に良く似てる」
霧依の異常に優れた感覚は、生まれついたものだった。それが他人にはないと感じたとき、彼女はそれを一切外に現すことはなかった。だが、この場でそれを出し惜しみする必要はない。その彼女の目にはわずかだが目の前の鏡子の身体から二つの気配を映し出していた。彼女はそれを言葉にしていた。
鏡子はそれを聞いて表情に驚きを加えた。
「あなた、何処まで知ってるの?」
「知ってるんじゃないけど……そう感じるのよ。あなたから。普通じゃない、気をつけろって私の中でアラームが鳴ってる。マリアがいいかげんなことで、ちょっかい出すから私がこんな迷惑をする」
「マリア? あなたは神崎霧依ではなくて?」
霧依は身体を硬直させた。名乗ってもいない、初対面の人間にフルネームを呼ばれる。確実に彼女は狙って霧依に接触しているのだ。だが、それは霧依は感じ取っていたことだ。それが確定したに過ぎない。
「マリアはもう一人の私」
「多重人格というやつね」
「ちょっと違う。マリアはこの身体の中にいる、もう一人」
霧依はセーラー服のスカーフを軽く握った。自分を落ち着かせるための行動だった。
霧依が自分の中に存在するマリアを認識したのはそう遠くない過去だ。
霧依は双子のうちの一人だった。その時生まれたもう一人の乳児は、母体から出てすぐに生命活動を終えた。霧依はそのことを偶然にも両親から立ち聞きしてしまう。幼い頃から自分の中に感じていた誰か。それは彼女の姉妹だったのだ。人一倍感覚に優れた彼女はそれを完全に理解できないものの、確実に認識していた。その感覚の鋭さも、肉体に宿ったそれのせいかもしれない。
霧依がネットの世界に入り込み、ネットの中でコミュニケーションを取るために作られた名前『マリア』。仮想空間の中で霧依から分離されたその識別子が生まれたとき、霧依の中に存在していたもう一人は、霧依の意識の上にはっきりと現れ始めたのだった。
それ以来、朝倉霧依の肉体を霧依とマリアが着せ替え人形の様に二つの意識が取り合い、混濁し、存在している。
「私たちは一つに入れ物に二つのものを詰め込んだ人間なのよ」
鏡子は興味深そうに霧依を見つめた。彼女の向こう側に透けてもう一人の霧依……それはマリアと呼ぶが、その姿が見えたような気がした。
鏡子は霧依を面白い存在だと思った。
「あなたは私が『殺している』といったわね。そして私はそれに対して『少し違う』と答えた。それはどういうことだと思う?」
鏡子の問いかけを霧依は理解できなかった。怪訝そうな表情で見つめる。鏡子は目を細めて笑い、霧依を見つめつづけた。
「木偶人形……持っているでしょう? それを見せて」
鏡子の言葉に強さはない。だが、従わざるを得ない畏怖が漂っていた。彫刻のような端正な顔に見つめられて、霧依の意思はついに主導権を握られてしまっていた。
霧依は手にしていたバッグから木偶人形を取り出した。
鏡子は手を伸ばし、その木偶人形を受け取る。
「あなたの波長がこの人形に染み付いてるわ……」
鏡子の目が見開かれる。霧依は呆然とそれを見つめた。そして、一瞬、彼女の目が金色に輝く。霧依は驚愕して目を見開いた。
何かが抜けていく感覚がする。霧依は焦った。
それはマリアだったからだ。
「あなたにはこの人形が二つ、必要だったのね」
鏡子は妖艶に笑う。霧依は今まで自分の中にいたマリアを鏡子が持っている人形に感じる。霧依は愕然と鏡子見た。
「言ったでしょ。少し違うって……私は魂を奪うの。あなたには、あなたが思っていたようにやっぱり二つの魂が宿っていたのね。一つ魂を奪ってもあなたはまだ生きてる」
鏡子は目を細めた。それは悪魔のように純粋な笑みだった。
霧依は膝をついた。彼女にとって本来あるべきものが奪われた。それは彼女の均衡を狂わしていたからだ。全身から汗が噴出して息が上がる。霧依の意識は朦朧とし始めた。
「苦しそうね……私がもらったのはどっちのあなたかしら?」
「……マリアをどうする、つもり?」
霧依はあえぐように言った。
「『鏡子』がほしがっているのよ」
霧依は驚いて鏡子を見上げた。いやそれは鏡子ではなかった。霧依は誰よりもそれを理解したことだろう。
「あ、あなたも……」
「それもちょっと違う。私は『鏡子』の身体に宿った『木霊』……人間ではないわ。そうね、あなたたちの言葉なら、精霊というべきかな?」
鏡子の身体に宿った木霊、それが笑った。
霧依は自分の身体を支えることが出来なくなっていた。両手を地面につく。
「さて、残された霧依さん。知らなくていいこと知っちゃったわけだし、ちゃんと口止めしておかないとね。今度は奪うじゃなくて、殺してあげるわ」
上体を起こすことが出来ない霧依の目の前で、鏡子のローファーが地面の砂を鳴らしていた。
