森川恵理のクラスに夏希たちが飛び込んだタイミングは、ちょうど森川が教室から出ようとしていた頃だった。血相を変えた二人の顔を交互に見て、森川は小さくため息をついて、髪を書き上げた。
「どうしたの? あの事件について関わらないで、って言ったはずよ」
森川はバッグにシステムを落としたばかりのノートパソコンを片付けながら言った。
彼女もまた、夏希たちとは違う方法で情報収集を行っていたようだった。夏希が感じた彼女の口調の中に混ざるわずかな苛立ちはその成果の表れかもしれない。
「あの、まだ確実じゃないんですけど……もしかしたら、とんでもない情報かもしれないものを手に入れたんです」
夏希はやや怯えた風に言った。森川は感情を大きく表に出す人間ではなかったが、わずかな気配も感じ取れる夏希は十分に彼女の不機嫌さを感じ取っていた。
森川はそれに対して何かを言いかけたとき、横槍が入った。
「怒るなよ。それはもしかして、今必要な情報かもしれない」
それは小田桐拓郎だった。
携帯のストラップを人差し指に絡めてくるくると回す。
「小田桐君、どういうこと?」
森川が小田桐に視線を突き刺して言った。常の声も聞こえるが、やや威圧を感じる。
「森川はたしかに、超常現象に対応する専門家だ。一方、夏希ちゃんはズブの素人だ。だけど、森川一人で何ができる? たいして何も出来ないと俺は思うな。だけど、その一人一人ができること、ってのはあるはずなんだ」
小田桐は自分の言葉にやや照れくさそうに笑うと、表情を引き締めて夏希たちに近寄った。
「俺の友達から妙な連絡があった。おそらく、水上鏡子が動いたんだと思う」
それを聞いた三人に緊張が走った。
「水上鏡子と接触した時、とっさに携帯電話をハンズフリーにして通話にしたんだ。それが俺の友達『藤沢瞳』が受けた。瞳はそれを携帯の録音機能で記録して、この学校に向ってる。森川、協力してくれるよな?」
いつもはどこか、軽さを残している小田桐の口調に余裕が無い。顔見知りの命がかかっている。当然のことだろう。
「……私たちのほかに、人形を持っている人間がいたのね」
「悪い、知っていたけど、人形を持っている人間がどれだけいるかわからない中、教えてもしょうがないと思っていた」
小田桐は頭を掻いて言った。
「まぁいいわ。で、その人がくるまで、夏希ちゃんたちの情報を聞きましょう」
夏希と杉村は二人に図書室で見つけた資料を見せた。十年前にとられた写真の中に、今も変わらない水上鏡子の写真は、二人にも衝撃的だった。
その衝撃が冷めぬ間に小田桐の携帯が鳴る。それは瞳がこの学校に着いたことを意味していた。四人はすぐに校門まで駆けつける。
活動的な瞳は愛車のマウンテンバイクで全力疾走してきたのだろう、髪は乱れて汗で白い制服が身体に張り付いていた。
「小田桐」
まだ息の荒い瞳は、必死にそれを整えながら、小田桐と共に現れた三人を見渡した。
「ああ、こいつらもあの人形と関わっている……で……」
「……わかった」
頷くと瞳は携帯を小田桐に差し出した。
「聞かせてもらっていいかな?」
森川が瞳と小田桐に視線をやった。小田桐は一瞬瞳に視線を向けると、森川に向き直って首を立てに振った。自分が聞くよりも、森川が聞いたほうが確かだと判断したからだ。 瞳も頷いて森川に携帯の操作を教えながら、端末を手渡した。森川は携帯を耳に当てて、メモリに記録された霧依たちと鏡子のやり取りを聞く。
それは以外にも鮮明に音が取れていた。
聞きなれない二人の声。霧依と鏡子のやり取りが聞こえる。
途中、彼女の耳にもなじんだ声が聞こえた。
「沢渡!」
森川の顔色が変わる。しばらくやり取りが続き、激しい衝撃音と遠くなった沢渡の悲鳴で録音は切れていた。
森川は青ざめた表情で携帯を眺めた。小田桐達を含め、こんな表情を作る森川を見たのは初めてだった。
「森川……」
森川は小田桐に名前を呼ばれて、瞳の携帯を渡した。小田桐の目からは森川の目は宙を彷徨っているように見える。小田桐も瞳の携帯を聞いて愕然とした。少なくともここから聞こえる音声で判断できる状況は、狙われた霧依に沢渡は巻き込まれたという事だ。
夏希、杉村もそのメモリに記録された声を聞いた。
青くなった夏希が森川の顔を覗き込む。
「……行こう。その美術館へ。夏希ちゃん、場所わかるよね」
森川は唇を強く噛んで言った。
「森川」
「大丈夫。私は冷静よ」
小田桐の声に森川は力強く答えた。その声は動揺する自分に対する欺瞞に聞こえた。だが、彼女の選択肢は他には残されていなかった。
五人はタクシーに分乗して水上美術館に急いだ。大した距離ではなかったが、わずかの時間も惜しかった。それは森川も瞳も同じだった。
「写真で見るより、ずっとこじんまりしたところだな……」
杉村は率直な感想を述べた。
閑静な住宅街の中、煉瓦造りの洋館は荘厳さはあるものの、大きな規模ではなく、少し大きめの邸宅のような印象ぐらいしかない。
「個人の美術館だし、アトリエと住居も兼ねているなら、こういうものなのかも」
夏希は杉村に答えて言った。森川も頷いて入り口へと向った。
「ちょ、ちょっと、正面から?」
慌てて瞳が追った。
「こういうときは正面から行くものよ? 変な行動を取れば逆に警戒される……それに向こうが何を考えているかわからない時は、特にね」
森川は冷静に言った。焦る気持ちを押さえるだけの精神力が彼女にはある。少なくとも外面からその焦りを伺うことは出来ない。
「行こう」
森川は先頭に立ち、皆を促した。
入り口は、鍵はかかっておらず、受付らしい人影も見当たらなかった。
夕日が洋風の窓から差し込み、室内は陰影を深く刻んでいて、その中に大量に陳列された人形群に陰と陽を落とし込んでいる。静まり返ったその室内は、なんともいえない不気味さが漂っていた。
夏希のそばで大きくつばを飲み込む音がした。杉村だった。彼は香津美が人形に襲われる場面に出くわした一人である。このリアルな人形群を見てそれを思い出しているのか、彼から緊張が伝わってくる。
「誰か……いらっしゃいませんか?」
森川は凛と張った声で言った。大声ではないが、よくとおる声だった。
静寂の中をその声は引き裂いていったが、それに対する反応はなにも無かった。
「どうする?」
小田桐が訊ねた。一瞬の逡巡のあと、森川は前を見つめたままつぶやいた。
「進みましょう。小田桐君は藤沢さんと、杉村君は夏希ちゃんと。お互いをケアしあって」
「森川先輩は?」
夏希が心配そうな声で言った。
「私は大丈夫。それより、夏希ちゃんの鋭い感覚には期待してるわ」
森川は夏希を安心させるように微笑んだ。夏希は森川に期待されていることを知って、唇を固く結んだ。緊張は不必要に彼女を敏感にさせるが、それをセルフコントロールするだけの能力は彼女には無かった。
とにかく森川はゆっくりと奥へ進んだ。
それに追うように小田桐と瞳が続いた。
夏希はひとまず動かず、耳を澄ました。わずかな物音も逃がすまいと精神を集中する。 深く刻まれた影が視界が悪くし、静寂すぎる室内は彼女の神経を惑わせた。焦りは判断力を低下させる。極度の緊張からか、夏希はとなりの杉村の制服のすそを掴んでいた。
「何かいやな予感がする……」
不吉な予言はトロイの女王カサンドラ以来好まれるものではない。杉村もそれを打ち消す言葉を捜したが、彼自身が持っていた不安と、この部屋が持つ雰囲気にかき消された。彼はただ、彼女のそばにいて不安を和らげる役しかこなせなかった。
森川は奥に進むと陰に隠れた扉を確認した。
「Praivate」
扉に金属で刻まれた言葉を彼女はかすかに声にした。それは本当にかすかな声だったために、他のメンバーに聞き取ることは出来なかった。森川はその扉のノブを回した。意外にもそれは簡単に回り、さらに闇を深くした奥の部屋が広がっていた。
森川は他のメンバーの気配が近くないことを知ると、すばやくその部屋に滑り込み、ドアを静かに閉めた。夏希たちを不要な危険に近づけたくなかった。愚かしくもそれは彼女の特徴であり、それが彼女の中で正義だった。
部屋は意外に広く、そして暗い。小さ目の窓がいくつかあり、わずかに光を提供している。
夜目の利く森川はあたりを見渡した。
広い部屋の中心はほとんど何もものがなく、壁際に沿って様々な棚や様々な機材のようなものが雑多に並べられている。おそらくはアトリエか何かに使われていたのだろう。
森川は注意深く進んだ。部屋のほとんどは闇に覆われている。彼女は全身の感覚器を最大限に敏感にした。
「ようこそ」
静かで綺麗な少女の声がした。反射的に森川はその声の方を振り向く。
そこには闇にぼんやりと浮かんだ少女の姿がある。夏希が持ってきた資料に載っていた少女。水上鏡子だ。美しい顔にかすかな笑みを浮かべて森川を見つめていた。
「水上鏡子ね」
「ふふ。私を知っているようね。でも私もあなたのことを知ってる。森川恵理さん……闇払いの一族にしては、随分とかぎつけるのが遅かったように思えるけど?」
森川はわずかに眉を動かした。鏡子は森川の正体を知っていた。超常現象を捌く森川家は闇の世界でそれなりに有名だったから、そう驚いたことではなかった。
「こういうのは専門じゃない。それに私はもう一族とはかかわりを持っていないわ」
「ふうん……でも、あなたはここに来た」
鏡子は笑みを絶やさない。仕草や声から自分に優位性があることが伺える。森川はそれは覚悟の上だった。敵地に乗り込んだ瞬間、自分の不利は確信している。
「友達を返してもらうためならね」
それが彼女がここにいる理由だった。沢渡陽子の安否、それだけが彼女を動かしていた。霧依のことも聞かされていたが、第一は沢渡だった。それを聞いたら瞳などは憤慨するであろうが、奇麗事だった。まず彼女は、自分の大切なものを守りたかったのだ。
「ふふ」
「彼女は無事なの?」
「さぁ」
その態度に森川は激昂した。感情を瞳にきらめかせ、右足を一歩踏み出す。強烈な視線を鏡子にぶつける。心胆の弱いものなら、すくんで動かなくなりそうなにらみを受けてなお、鏡子は余裕を崩さなかった。
「あなたの魂は……特別おいしそう」
鏡子の瞳が金色に光った。霧依の身体に宿ったもう一つの魂、マリアを抜き取った時と同じだ。森川は激しい耳鳴りを感じた。
「ぐっ」
三半規管は常を失って、彼女は片膝をついた。得体の知れない何かが、胸のを奥を鷲掴みにしている。そんな苦しさを覚えた。
「やっぱり特別なのね、森川さんは」
鏡子は驚きと残念を足して二で割ったような表情を浮かべた。
「な……何を今……」
森川を襲った痛みはもう消えていた。だが、激しい痛みのためか全身から脂汗が噴出し、息も上がっていた。
自分を奮い立たせるように森川は両足に踏ん張りを利かせて立ち上がった。
「そうか。こうやってあなたは殺してきたのね」
他にも催眠術やいろいろな手段を持っているに違いない。
「少し違うわ。奪うのよ」
鏡子は笑った。霧依に対する応答と同じだった。
「でも、あなたは面白いから、殺してあげるわ」
優しげな笑みから発せられたその言葉は、氷の刃よりも冷たく鋭かった。
森川は反射的に身構えた。杉村や香津美の様に空手部と言うわけではなかったが、人並み以上の護身術は身につけている彼女である。
「あの子と同じようにね」
鏡子は視線を横に滑らせた。森川もその視線を追った。闇の中に誰かがいる。恵理は目を細めた。その小柄な人影は吊られていた。四肢をだらりと投げ出し、全てを首だけで支えている姿。首吊り自殺のそれだった。
森川は全身から力が抜けていくのを感じた。
「……沢渡……そんな……」
薄闇の中、彼女の瞳に映ったのは生気を失った、親友沢渡陽子の青い顔だった。
森川は鏡子の気配をすぐ間近に感じたが、対処できなかった。いや対処する精神力を失っていた。鏡子が手にした刃が森川の制服を、皮膚を引き裂き、それは臓腑に達した。切り裂かれた傷の熱さと、口から溢れ出した血の苦しさを越えてなお、彼女は沢渡陽子のうつろな瞳を見つめつづけていた。
