「水上……鏡子?」
それはいろいろな要因が重なっての偶然だった。公園は沢渡陽子の通学路だった。森川にこの件に関わるな、と言われたのは彼女にとって疎外感を受けるに十分だったが、同時に親友森川の心の内も理解できていた。彼女は釈然としないものの、おとなしく帰途に着いている途中だった。
同学年である水上鏡子の情報は、特に調べるまでもなくその存在を知ることが出来た。 稀有な美しさを持つ水上鏡子は沢渡も校内ですれ違ったことくらいはあったらしく、その印象は鮮烈に彼女の記憶にあったのだ。
沢渡はその鏡子が右手に持っている木偶人形と膝をついているセーラー服の少女を見て戦慄した。それは夏希が語った状況と酷似していたからである。
だが、両手をついた少女があえぎながらも沢渡の気配に気づいて顔を向ける。
「霧依ちゃん? 生きてるの?」
沢渡と霧依は一度しか出会っていない。だが、それは昨日のことだった。霧依は木偶人形を持っており、狙われることも知っていた。
そして小田桐や森川が予測した事態が目の前で起こっている。
沢渡は混乱する頭の中を落ち着かせようとした。中学で空手で全国大会準優勝は伊達ではない。肉体だけではなく精神もまた十二分に鍛えられている。
砂を踏み、眼光を鋭く一歩間合いを詰める。
鏡子は油断なく沢渡を見つめた。
「あなたが……香津美を殺したの?」
沢渡の低い声。それに鏡子は、いや鏡子の身体に宿った木霊は唇の端をゆがめて笑った。
「意外とわかってしまうものなの? 予想外ね」
「くっ」
沢渡は歯軋りをし、拳を固めた。
後輩を殺されたのだ。彼女の怒りは純粋だった。その炎に油を注ぐかのように木霊は涼しい微笑を浮かべていた。それは彼女の作戦だった。
「君達、何をやってるんだね?」
沢渡は突然後から声をかけられて、驚いた顔で振り返った。緊張下のことだったので、まるで飛び跳ねるかのような動作だった。
そこには呆れた顔の警官が立っていた。
「え? あ、いや……あの」
突然のことに混乱する沢渡。もし水上鏡子が殺人犯だ、捕まえてくれ、と言っても信じてはもらえないだろう。段取りが違いすぎる。
「ケンカかね?」
中年の警官は沢渡に近づいた。
霧依はその時違和感を感じていた。
鋭い彼女の感覚が危険を訴えつづけている。霧依は不安定なままの身体を叱咤し、よろよろと立ち上がった。と、同時にバッグから手のひらにすっぽりと収まる棒状のモノを取り出した。それはワンタッチでナイフへと変化する。刃渡りは五センチ程度のバタフライナイフだった。
霧依は勢いよく駆け出し、その小さな身体ごと沢渡に手をかけようとしてた警官に突進した。そのバタフライナイフが警官の胸の中央を捉えている。
沢渡はそれを目の前で見た。
「なっ! きり、え……ちゃん?」
呆然とする沢渡。それは明らかに殺人と言う行為だった。
もつれるように霧依と警官は地面に倒れこみ、霧依が警官に馬乗りになる。柄まで突き刺さったバタフライナイフから赤黒い液体が噴出してくる。
沢渡は大きな目をさらに見開いてそれを見た。
「人、殺し……」
霧依は沢渡を見て首を横に振った。
と、胸を刺された警官の全体からドロドロとした液体が流れ始める。それは溶け始めたアイスクリームの様に表面を流れ落ち、地面に吸い込まれていく。
沢渡と霧依は呆然とそれを眺めた。さして長い時間ではなかっただろう、その場に残されたのは等身大の木偶人形。それが警官の姿をしていたと言う証拠に、霧依がつきたてたバタフライナイフが亀裂を生みながら胸部に深々と突き刺さっている。
「に、人形」
沢渡は狼狽から抜け出せないままで居る。
霧依は汗を拭いながら立ち上がった。
「用意周到な人」
「よく気づいたわね、霧依ちゃん……」
木霊は妖艶に笑う。
沢渡は肌の裏がざらつくような感覚を覚えた。あたりを見渡すと、彼女たちを取り巻くように何人もの人が居る。否、人ではない。沢渡は思った。そして香津美が死んだときにあの店の中の木偶人形が動き出した、あの光景が脳裏によみがえる。
「は、ははは……恵理、あんたやっぱ正しいわ」
意外にも森川の言葉をすなおに受け入れたのは沢渡一人だった。それは沢渡が森川のことよく知っていることを表していた。だが、それが裏目に出ることになろうとはそれは運命の女神でない限り、知る由もない。
放課後、夏希は図書室にきていた。森川に事件に関わるなと言われても、彼女は事件の渦中にある人物で、仮に彼女が持っている人形を森川に押し付けてしまおうとは思えない彼女である。
とにかく、事件の中心人物であろう『水上鏡子』について調べようとしていた。
「でもどうやって調べるんだ?」
彼女の後ろにはクラスメートの杉村がいる。杉村も森川の言葉を無視しているわけではない。実際にクラスメートであり部活を同じにする三浦香津美の死を目撃している。決して自体を軽んじているわけではなかった。
「生徒名簿で住所を探し出したの……とりあえず、そこからはじめようかな、と」
夏希は図書室の中から本を選び出す。図書室と無縁の生活を送っていた杉村には、この無数の本の中から目的の本を探す方法など、全くわからないが、教室に居場所がなく、一人になれる空間を好んだ夏希にとってはお手の物だった。
適当な机を選んで座る。地図を開いて夏希は対面に座った杉村を見た。
「ねぇ」
「ん?」
「なんで杉村君、ここにいるの?」
率直な質問は鋭すぎる。夏希は言葉にしてから後悔した。
「いちゃダメ?」
杉村は苦笑いをした。夏希のいいたいことは判るつもりだった。だが、その言葉の一つ一つ、彼女の不器用さがわかったような気がした。女子はきっと敏感なんだろう、彼はそう思ってすこしだけ彼女を哀れんだ。
「だって、部活とか……あるでしょ?」
夏希は遠慮がちに言った。彼女の自身も自分の言葉の迂闊さには気付いているのだ。すぐには治らないものだろう。杉村はそう思って優しげな表情を作って安心させようとした。
「まぁ、部活はね……三浦がいなくなってそれどころじゃないだろうし。それにまだ一年あるしな、引退まで。それよりも今はこの事件のほうが俺にとって大切なんだよ。他のこと考えながら空手して、怪我でもしようものなら沢渡先輩が怖い」
杉村は笑って答えた。
「それに、川村も心配だ」
遠慮がちに言う。驚いて夏希は杉村を見た。杉村はやや視線をそらして窓の外に視線をやっている。
「え……」
「俺が川村のことをほったらかしにして、他のことしてて、川村が死ぬような事あったら、めちゃくちゃ後悔すると思う……もし何も知らなかったら、仕方がないことかもしれないけど」
二人はしばらく黙り込んだ。杉村は外を眺めたまま、夏希はうつむいて特に目的もなく地図をながめたまま。
その沈黙に耐えられなかったのは夏希のほうだった。
降りた髪の毛越しに杉村の顔を見る。彼の目はまだ窓の外を向いていた。
いつもと違う顔に見える。クラスの中の彼と、今の彼とでは別人に見える。
彼女はそれを言葉にしようとした。
「杉村君って、クラスにいる時と少し違うね」
「え?」
杉村は驚いた顔で夏希を見た。夏希は直視されるのが何故か恥ずかしく思った。もともと人の視線は苦手だったが、それとは違う感情だった。
「前にもそういうこと、言われたことあるかな。俺、かっこつけだからさ……教室にいる時はだれでも同じように扱おうとしてしまう。その、なんていうかな、付き合いの中で序列をつけたくない、差別したくない、っていうような」
杉村は自分の言葉に悩んでいた。うまく自分を伝えられない。もどかしさが彼を惑わせていた。
「たとえそこに好きな子がいても、特別扱いできないだろうな。みんなの前じゃ」
だからこそ、杉村は夏希のことを他のクラスの人間とは違って、避けたりすることもなかったのだろう。夏希は杉村のことを見つめた。香津美とは少し違うが、彼もまた夏希にとってクラスの中では貴重な存在だったのだ。
「でも、今は私のことを特別扱いしてる」
杉村はすこしだけ肩を震わせた。図星を付かれたのだ。
「いや、まぁ……ここはほかにだれもいないから」
夏希は小さく吹き出した。彼も器用なようでいて、不器用な人間なんだと彼女は思った。夏希は少し楽しい気分になって、微笑を浮かべて窓の外を見た。机に肘をついてあごを乗せる。休みの日もほとんど家に引き篭もっているせいか、白くて細い指が顎と頬のラインを装飾した。
杉村はその指に少女を感じて、おもわずぼんやりと眺めてしまった。
「て、俺たちは目的あってここにきてるんだぜ」
それは自分に言い聞かせた言葉でもあった。杉村は地図を指差した。
夏希も表情を引き締めて、メモを取り出す。水上鏡子の自宅の住所が書かれたものだ。「うーん、地図見るの少し苦手」
夏希は迷いながらも地図を開いていく。
「貸してみろよ」
杉村は立ち上がると、地図をめくった。本を選ぶことはできなくても、地図の見方は杉村のほうがうまかった。ほどなくしてメモの住所を探し当てる。
「……水上美術館?」
「美術館……でも水上って名前がついてるし、間違いないと思うけどな」
私立の美術館なら同じ敷地内に住居があってもおかしくはない。
「美術館なら、郷土資料とかに載ってるかな」
夏希は立ち上がって、本棚の場所へ行く。杉村はついていっても無駄なことが判っているから、土地所有者が書かれた詳細地図とメモを見比べた。
「水上元隆……保護者の名前も一致するな」
しばらくすると夏希が席に戻ってくる。表情が硬い。
「どうした?」
「見て……」
夏希は分厚い郷土資料を机の上において、広げた。そのページには美術館らしい写真が何枚か貼られていて、その写真の中には精巧な人形が並んでいた。
杉村も驚いて夏希の顔を見上げた。
「木偶人形……動き出したマネキン……そして人形の美術館」
夏希がページをめくる。
「水上元隆。人形彫刻家……戦前生まれってことはもうずいぶん年のはず。鏡子先輩のおじいさんなのかしら……精巧な人形師でいろんな賞を取っているみたい」
美術品として一級品の作品も今の彼女たちには不気味なものにしか移らない。
と、夏希はある一枚の写真を見て、その身体を硬直させた。
「川村?」
そこには水上元隆の初老の写真があった。そしてその周りには彼の家族らしき人間が数名映っている。そこには一人のセーラー服の少女がいて、元隆に寄り添っている。夏希は本を見渡す。この資料はかなり古いように見える。
夏希は恐る恐る、その資料の奥付を覗いた。
「うそ……十年前?」
「どうしたんだよ、川村?」
杉村はわけがわからないと言った顔で夏希を見た。夏希はしばらく混乱した脳を整理しようと押し黙っていた。杉村は夏希が次に口を開くのをじっと待った。
「この写真を見て」
「ん? 家族の写真みたいだな」
「この人、私が会った水上鏡子先輩。杉村君もちょっとだけ見たでしょ?」
「ん? ああ、たしかにあの時の……」
すぐ側にいる夏希の喉から、生唾を飲み下した音が杉村の耳にまで届いた。
「この本、十年前に刷られたものよ?」
「ちょっとまて、なんで十年前に刷られた本に同じ姿で載ってるんだ?」
「だからよ……母親にしては若すぎるし、お姉さんがいたとしたなら、鏡子先輩自身もどこかに映ってないと変でしょ。それにこの顔……似ていると言うより……そのまま、よ」
図書室にかかっているクーラーのせいではない。夏希は身震いをして両腕をつかんだ。杉村も信じられないような顔をして写真を見つめていた。
