「また、夜が降りなかったのね、エリさん」
一時間ほどだろうか。会場のほとんどの人間が眠りに落ちた後、一人目の少女が目覚めると、堰を切ったかのように一斉に皆が目覚めた。
思い思いの言葉で夢について話しはじめる彼女らの会話は、夢で見たことのはずなのに繋がっている。もしこれが台本のある演劇ではないとするならば、通常の理解の超えたところにあるといえる。夏希もまたそれを知って背筋が凍る思いだった。
この場での通称「エリ」、森川恵理はとある少女に声をかけられていた。
「ええ、私はあなたたちと違うみたい……」
森川は彼女から視線をはずし、目を細めた。
「あら、そっちの子も?」
少女は森川の後ろにいた夏希に視線を向けた。夏希はそれに怯えるように身体をすくませた。元々会話というものが苦手な彼女は、この異様な出来事の後で何時にもましてナーバスになっていた。
「そうみたいね」
その夏希をかばうように森川が言った。
「そう……」
少女は眉をひそめて夏希を見た。
「私は『降夜祭』の主催、『カエデ』よ」
やや丸顔で人のよさそうなカエデと名乗る少女は微笑んだ。夏希はその顔の毒のなさに呆気に取られた。何かをたくらんでいるような顔にはとても見えなかったからだ。
「大丈夫よ、二人とも。夜が降りる時、夢を見ないあなたたちは力のない証拠。でもそれは普通なことなの。普通なことはきっと幸せなことよ。余計な力は不幸を呼ぶし、それを振り払うこともつらい事だわ」
力とは霊的な力、霊感などのことを言うのだろうか。夏希はそう思った。
夏希は過去を振り返り、カエデの言葉がまさしく正解だと思った。霊的な力をもっていれば、普通触れないようないわゆる悪霊のような存在にも触れてしまうかもしれない。夏希はその経験はなかったが、十分にありえることだと思っていた。
そして実際、その霊視能力のために、彼女は七年もの間トラウマから逃げ出せずにいる。それが不幸と言わずになんと言おうか。
「安心して。力がなくても別に仲間はずれにするつもりもないわ。そうだ、これを渡さなきゃ……」
カエデは手にしていたトートバッグから小さな木偶人形を取り出した。
香津美や自殺者が持っていたと思われるそれだ。
「ひっ」
夏希は小さく悲鳴をあげて身体を硬直させた。
「どうしたの? エリさんにはもう渡したよね?」
カエデは微笑んで夏希に木偶人形を差し出した。森川はその彼女の問いに頷いたが、夏希にはそれが慎重な表情に見えた。
夏希は木偶人形を見つめた。
違和感はない。これ自体には何もないのだろうか。夏希はそう思って恐る恐る手を伸ばした。
手にとる。
表面の加工は特に変哲もないものだが、重量感のあるしっかりとした木偶人形だ。
「水上先生に作っていただいた人形のお守りなの。いろんな災いから身代わりになってくれるお守りよ」
「みな……かみ?」
「高名な彫刻師の先生よ。知らない?」
カエデは無邪気に微笑んで言った。人を死に追いやるようなものを渡す時のような表情ではない。夏希はそう思いつつも、「水上」の名前が出た瞬間に一瞬表情が凍りついた。
少し雑然とした、だが雰囲気がよく安価なメニューで纏められたチェーンの喫茶店は高校生でも気楽に入れる場所だった。
何度目のコールだろう。少しも目的を果たしてくれそうにもない携帯電話に沢渡陽子は苛立ちを覚え始めていた。
「あーっ、もう! 何処ほっつき歩いてんだかっ」
沢渡は携帯電話を乱暴に折りたたむと、身体を椅子の背もたれに預けた。微かな軋む音を立てて彼女の身体を受け入れる。
「ここんところガッコにも来てないんだよねぇ……」
ため息混じりにことばを吐く。
「大丈夫なんすか? その人」
苦笑い交じりに言ったのは沢渡の対面に座っていた杉村健司だ。杉村はエンジェルハイロゥというオカルト組織にはまったクラスメートであり部活の同輩である三浦香津美を心配して、沢渡に相談を持ちかけたが、特に進展はなく週末を迎えてしまった。
というのも沢渡もあてにしていたオカルトに詳しい友人がつかまらずにいたのだ。それは森川恵理で、偶然にもこのとき森川はエンジェルハイロゥの降夜祭に参加していた。その会場が地下だったために携帯電話が繋がらなかったのだが、当然沢渡がそれを知る由もない。
「恵理ほどこういうことで頼りになる奴は知らないけどね」
沢渡は苦笑いをして答えた。
「でも、こんなものが……」
杉村のとなりでテーブルに置かれた木偶人形を見つめたのは三浦香津美だ。薄いレンズの奥の瞳には不安が宿っていた。当然その木偶人形も彼女のものだ。
「そうと決まったわけじゃないけど、こないだの自殺の子、遺書も何も出てないらしいじゃない。他殺って言うような感じでもないらしいけど。それに、その子が持っていたらしいじゃない? それ」
沢渡は指先で木偶人形をこづいた。
「そう言われると不気味なんですけどね」
「まぁ、それはともかくとして、私としては部活をサボるほうが問題だわ。香津美、一応団体戦のメンバーなんだし、大会も近いわけだし……他に趣味を持つのは別にとやかく言うつもりはないけどさ」
「それはわかってますよぉ。今日だってオフ会あったけど部活でましたよ。というか、もう行っても相手にされないかも」
「それどういうことだ?」
杉村が怪訝そうに訊いた。香津美はやや困ったような顔をしたあと、自嘲気味の笑みを浮かべて答えた。
「『降夜祭』って言うエンジェルハイロゥのオフ会なんだけど、ある音楽がかかるとみんな一斉に眠ってしまうの。で、寝ている間みんな同じ夢を見てるらしい」
「らしい?」
「うん……私はそれで眠らなかったの。それが『力』のない証拠だって。だから、力がない人でも、霊的な災いから護ってもらえるようにこのお守りを渡されたってわけ」
それを聞いて杉村は難しい顔をして黙り込んだ。
沢渡は頭を掻いてため息をつくと、強い口調で反論した。
「それって催眠術かなんかじゃないの? たまたま香津美はそれにかからなかっただけで。そういうのってよくテレビでやってんじゃん。エンジェルハイロゥを否定するつもりはないけどさ……香津美が可哀想だよ」
沢渡は本来香津美が部活をおろそかにしてエンジェルハイロゥに関わっていることが気に食わないのだが、今は香津美が仲間はずれにされていることに腹を立てていた。
と、一人杉村が難しい顔をして木偶人形を見つめていた。
「ん? どうしたの? 杉村君」
「うーん……皆が寝るって言うのは催眠術とかで聞いた事はあるような気がするけど、同じ夢まで見るってのは聞いたことないな、って」
と、杉村が半ば戸惑ったようにつぶやいていると、無造作に置かれていた沢渡の携帯電話が振動をはじめた。着信があったのだ。
「もしもし」
沢渡は急いで拾い上げて電話にでた。彼女の予想通り、その相手は森川恵理だった。
木偶人形を受け取ってからの夏希は目に余るほど落ち着きがなかった。
森川は見かねて彼女の体調を心配する理由で『降夜祭』を抜け出していた。
「留守録? 沢渡?」
その時ようやく携帯電話の電波が届く地上にでたため、ようやく着信に気づいた彼女である。手馴れた手つきでダイアルを呼び出し、発信する。
「もしもし」
『ようやく繋がった! 何処へ行ってたのよ、もう。学校にもこないし』
電話の向こう側で森川とは対照的な元気な声が聞こえてきた。苛立ちと安心と入り乱れた感情が聞き取れる。
「いろいろあったのよ……で、どうかした?」
『いろいろ聞きたいことあってさ。恵理、エンジェルハイロゥって知ってる?』
キーワードに森川は一瞬だが驚きの表情を作った。
『もしもし? 恵理聞いてる?』
「ん。ごめん。知ってるわ……でもどうして沢渡が?」
『後輩がね、ハマったらしいの。今ここにいるんだけど』
森川はいやな予感がした。そしてそういう予感こそ当たるものだと彼女は思っていた。そしてこの場合、それはまさに正しかった。
「木偶人形、持ってる?」
『木偶人形? あるよ。今目の前に……やっぱりコレが何か関係してるの?』
「沢渡、後で家にこれない? 私は今新宿だから……そうね、一時間後に。その子も一緒で。詳しく話がしたいの」
電話機の向こう側で沢渡が確認を取る声が聞こえた。
『オッケー、じゃあ一時間後ね』
約束の後、電話を切った森川は夏希の方を見た。
夏希は外に出てからも落ち着きのない表情をしていた。森川は小さくため息をつくと、彼女に近づいた。
「私の友達がエンジェルハイロゥに関わって、木偶人形を渡されたっていう後輩と一緒にいるって。もしかしたら夏希ちゃんの友達かもしれない」
「え……香津美が?」
「その子と決まったわけじゃないけど、そう同じ学校でほいほいこういう事に巻き込まれてる生徒がいる、とは考えにくいわ。これから私の家で落ち合うことにしたんだけど、あなたも来る? うち、一人暮らしだから遠慮はいらないわ」
森川は笑顔を作って言った。元々人付き合いはそれほどうまくなかった彼女だった。森川は名家の令嬢として生まれ育ち、お嬢様学校で有名なフェイノール学園に在籍していた。家庭でも学校でも尊厳と欺瞞に満ちた生活だった。そんな森川も「孤高の人」から瑞穂学園に転校してから徐々に軟化をしていた。
もっとも、彼女自身は友人の沢渡陽子と比べては彼女の様に行かないと悩んでいたのではあるが。
「いろいろお話聞きたいこともあるし……いいですか? 先輩」
夏希は戸惑いながら答えた。
森川は頷き、駅へ向うように促して歩き始めた。
半歩遅れた格好で夏希が彼女に従った。夏希は右手に木偶人形を掴んだまま、それを胸に当てる。木偶人形を通して心臓の動きが右手に伝わった。
「これを持っていると死ぬんですか?」
唐突な質問だった。森川は驚いて振り返った。
彼女には理解できない光が夏希の目に映っていた。
死を予感していながらも、彼女の目には恐怖や不安ではなく、希望のような明るさがあったのだ。それは森川が他に見たことがない瞳の色だった。
だが、彼女は記憶を垣間見る。それはかつて自分がしていた瞳ではなかったか、と。
駅前の繁華街を抜けて公園に至り、その向こう側に森川恵理が住むマンションはある。一時間という待ち時間は活発的な少年少女達をひとところにとどめているには少し余裕がありすぎた。
喫茶店とゲームセンターで時間をつぶした杉村たちは少し時間が早かったのだが、森川の家を目指していた。
「あれ? 香津美?」
道案内役の沢渡はふと振り返った。そこには杉村だけがいて、香津美の姿がない。杉村がやや驚いた顔をして沢渡に追って振り返った。
「あ、先輩あそこ」
杉村が指を指した。沢渡は人ごみをよけてそれの方向を見ると香津美は上品な感じのするブティックの前で立ち止まっていた。
彼女はウィンドウに飾られた洋服を見ていた。
「しょうがねえなあ」
杉村が腰に手を当てて苦笑いをした。そのセリフに女になれているな、と沢渡は感じた。それは女性にはつき物の習性のようなものだ。それを杉村は理解しているのだから。
二人は香津美が立ち止まっているところまで戻った。
「香津美……」
「あ、ごめんなさい。ちょっと見ていってもいいですか?」
「おい、三浦」
「うーん、まあ、このまま行っても待ちぼうけだしね。すこしなら」
ウィンドウを見上げた沢渡もその店の雰囲気を気に入ったようだった。
香津美は喜び、その後で沢渡も目を輝かせて店に入る。最後に杉村がため息をついて続いた。
店内は木目を基調とした落ち着いた感じだった。外のウィンドウの部分と店内は壁紙で隔離され、ドアも木製ため、外の喧騒とは隔離されている。その雰囲気が香津美はとても好ましく思った。
店内に他の客の姿は見当たらず、ゆっくりと三人は品定めをはじめた。といっても杉村はそれを横で見ているだけで、落ち着きなさそうにしているだけだったが。
「なんだかやたらマネキンの多い店だなぁ」
杉村はぼんやりとそんな感想を述べたが、女性陣は服を見るのに一生懸命で無視をされた。
「あ、これやすい。買っちゃおうかな」
香津美がTシャツを見つけて、財布の中身を確認する。
「ん、そろそろ時間だから買うなら早くね」
沢渡が促した。香津美はそのTシャツを買うことを決めて、奥のレジへ向った。若い女性の店員が座っている。先ほど、レジ近くの棚を整理していた店員だった。
「あの、これをおねがいしますー」
カウンターにシャツを載せる。レジの店員は営業スマイルで立ち上がり、会計を行う。それが香津美の予想だった。だが、店員はぴくりとも動かない。香津美は不思議に思い、店員の顔を覗き込んだ。
「ひっ!」
香津美は思わずしりもちをついた。それはマネキンだったのだ。何時の間に摩り替わっていたのか。いや、レジに何故店員の格好をしたマネキンが必要なのか。香津美は混乱した。
と、その店員の格好をしたマネキンが動き始めた。
間接を人の曲がる方向とは逆に向け、カウンターを乗り越え、香津美に覆い被さろうとする。
さして広くない店舗に香津美の悲鳴が響き渡った。
杉村と沢渡がはじかれたように悲鳴の上がった方向を見る。人形のような店員が、否、人形の店員がゆっくりと動き、香津美を襲おうとしている。それだけではない。店舗内のマネキンというマネキンがゆっくりと動き始め、近づいてくる。
「うわあっ」
二人は悲鳴を上げた。あわてて、入り口を目指して走り始める。
「香津美、逃げろっ」
恐慌の中、沢渡が声を上げた。香津美も必死に立ち上がり、出口を目指して走り始めた。
転がり出るように杉村、そして沢渡が店内から飛び出す。これは足の速さというよりは、出口までの距離の結果だ。続いて香津美が飛び出そうとその時、勢い良く木製のドアが閉まる。
「えっ?」
沢渡は振り返ってドアのノブを掴んだ。それは鉄の牢の様に固くびくともしない。
「香津美! 香津美!」
必死になって扉を叩き、後輩の名を叫ぶ彼女だったが、その扉の内からは何の反応も返ってこなかった。
