大勢の人間が踏み込んでくる気配がした。夏希たちが店内に侵入したドアからブルーの制服の男たちが数名入ってくる。警察だった。
「恵理さん! やっはりあなたでしたか」
一団の最後に黒っぽいスーツを着た青年が森川の姿をみて声をかけた。
「川崎さん」
「お家のほうから連絡がありましてね。慌てて駆けつけましたよ」
スーツの男は県警の若い警部補だった。やや精悍な顔立ちと上等そうなスーツが年齢以上の風格をもたらしていた。
森川家は普通起りえないいわゆる超常的な事件にかかわり、その上大財閥である。経済力、政治力を含め、公的な組織……今回は警察だが、超法的な介入もわけはない。川崎宏一は森川家とつながりの強い警官だった。
「……で」
川崎の視線が強くなった。森川は頷いて半身をずらす。川崎の視界が広がって香津美の姿を確認する。わずかに左の眉が上がり、香津美の姿を見つめた後、数秒だが目を閉じた。わずかな黙祷。
「沢渡。大丈夫?」
森川は沢渡を見た。目の周りがはれぼったくなっていたが、取り乱してはいないようだった。
「顛末を話してくれる? 夏希ちゃんは離れてたほうがいいかな?」
気を配って森川はちらと夏希の方に視線を投げた。夏希は数瞬戸惑ったものの、首を小さく横に振った。
「大丈夫です」
その答えに森川は頷くと沢渡と目を合わせた。
沢渡は指で涙を拭うと、戸惑い気味に森川を見る。
「顛末って行っても……逃げ出すまでしか」
「逃げ出した、ってことは何かあったって事でしょ?」
「うん、だけど」
沢渡はその状況をうまく整理できないらしく、戸惑うように杉村を見た。杉村もまた彼の理解力を超えた状況のために、困った顔を返しただけだった。
「見たままでいいよ、沢渡。どんなことでもいいから」
「うーん。なんていえばいいのかな? ここいっぱいマネキンがあるでしょ? それが……動き出して襲ってきたの」
警官たちにどよめきが走った。川崎も目を見開いて沢渡を見る。
沢渡はばつの悪そうな顔して森川を見た。青くなるほどの光景だったが、彼女自身あれが信じられなかったのだ。
だが、森川は真剣な顔をして沢渡を見返した。
「だから逃げ出したのね?」
「う、うん」
沢渡の返答にはいつものような歯切れの良さがない。沢渡は白昼夢でも見たような、自分の記憶すら疑っている状態だった。
自己紹介のとき、声が出なかった。
この学校ではうまくやっていこうと思っていた。だから、はじめが肝心だと自分に言い聞かせていたはずだった。だが、教壇に立ち教師から紹介されて、クラス中の視線を受け止めた時、彼女は声を失っていた。
それでもクラスは転校生に気を遣って、いろいろなことを教えたり面倒を見たりしていた。失敗に失敗を重ねてはいけないという重圧。もともとのコミュニケーションの経験のなさ。彼女はクラスメイトの親切もまた、うまく受け止められなかった。
特に女子達はいくつかのグループを作っていた。いろいろなグループから声をかけられたが結局はそれも受け入れることができなかった。逆に女子達は輪に入ろうとしない彼女を目の仇にした。
徐々に転校生を敬遠し始めるクラスメイト。その視線に敏感な彼女はさらに言葉を失う。
そして、川村夏希のクラスは四十人と一人のクラスになった。
そんな時間が続いているうち、「どこにでもあるような」事件が起こる。
おそらく肩が触れ合ったくらいだろう。夏希にも自覚があった。ただほんの少しのことだったし、「ごめんなさい」をいう事も怖くなっていた夏希はその場からそそくさと逃げ出そうとした。だが、相手の女子はそれを許さなかった。
「ちょっと!」
鋭い声が背中から突き刺さった。夏希は足を止めたが振り返れなかった。
足音が三つ。背後から近づいてきた。
「肩、当たったでしょ? 一言ぐらいないの?」
明らかに威圧的な声。彼女は普段は普通の女子だ。たまたま機嫌が悪かったからかもしれない。仲間と一緒にいたから気が大きくなったのかもしれない。
だが、夏希に対して鬱積したものがあった。それは事実だ。そしてそれに夏希は気づいていた。
なすがままに人気のいない校舎裏に連れ込まれた夏希は三人に囲まれた。
相手の顔すら見れない。だが、泣かないのは彼女が最後に護っているプライド。そして悲しい慣れ。彼女は攻撃に対して、貝の様に閉じて耐え忍ぶしか手段を知らなかった。
「なーにやってんの!」
囲んだ三人の後ろから大きな声が飛んだ。奇襲と威圧には十分だった。
五人の少女。彼女たちも普通の生徒だ。真中にメガネをかけたクラスメイト、三浦香津美。声を出したのも彼女だった。
三人のグループはうろたえた。元々うしろめたいことをしていたのと、自分たちより大人数のグループ、そして香津美が空手部であることを知っている。
三人はばつが悪そうな顔をして逃げ出した。
別に彼女たちと香津美たちが仲が悪い、と言うわけではない。女子たちの間にはクラスの中で数グループに分かれていて、お互い何もなければ不干渉、といった位置付けだ。ゆえに転校生夏希がどのグループにも属そうとしなかったから、彼女たちは夏希を除外したのだ。
「大丈夫だった?」
むしろ他人事である夏希に対しての干渉は例外だった。
香津美の声。そして何人かの視線。夏希は勇気を振り絞って御礼を言おうとした。顔を上げて口をあける。だが、声が出ない。意識とは何か別の力。香津美が不思議そうに首をかしげた。他の女子たちも怪訝そうに見つめた。
たまたま助ける側に立った少女たち。それでも、彼女らにも逃げた三人のような鬱積はあるはずだ。夏希はそう思うと怖くなった。そして逃げ出した。
その背に呆れたような声が飛んだ。それは負の感情の言葉だった。夏希は過ちを繰り返した。
「こんなところでご飯食べてんだ」
「え?」
「川村夏希さん。私、三浦香津美。覚えてくれた?」
「うん、知ってる……あの」
「うん?」
「この間は……ありがとう」
「ん? ああ。なんだ、しゃべれるじゃん」
「たくさんの人に見られるの、好きじゃない」
「そっか、なるほどねー。ごめんね、あなたの事わかんなくって」
「ごめん?」
「だから、あなたのことが知らなくて。まぁあれでキレちゃった子もいたけどさ」
「……」
「あはは、ごめんごめん。脅かすつもりはないんだけど」
「だからあ。ああいうのは自分から……」
「ムリ」
「無理な訳ないでしょ。私にはしゃべれるんだし」
「それは、香津美だから」
「あのねえ」
「いいの、香津美がわかってくれれば。私はそれで十分」
「それがダメだって言ってるじゃない」
「……うん、ごめん」
「夏希っていつもパンだね」
「うち、母子家庭で母さん忙しいから」
「ありゃ、そりゃ大変だね。あ、でも自由でいいかも」
「その逆。普段一緒にいないからだろうね。いろいろうるさくって。そのくせ自分は疲れてるからってロクに会話もしない」
「うーん、家庭でのコミュニケーション不足もあんたの性格の一因かな? ってあちゃ。ごめん、禁句っぽい?」
「あはは。でも確かにそう言われるとね、そうかもしれない」
「でも、夏希、随分自然にしゃべれてない?」
「……それは香津美だから」
「クラスじゃまだ固いもんね。私としゃべってる時でさえね」
「だって……」
「ね、今度友達連れてくるからさあ」
「だ、だめだよ。私相手がネガティブなこと考えてると……わかるもん。そしたらしゃべれなくなっちゃう」
「だから、その辺克服しないと! ね」
「う、うん」
公園は夏祭りに向けて、色とりどりの提灯が吊られている。夜にはそれはライトがともされて鮮やかでにぎやかだ。
香津美に夏祭りに誘われていた。
森川の部屋へ向う途中、夏希はそれを思い出した。そしてさかのぼっていく記憶。出会ってから、会話と言う会話は香津美とだったような気がする。その彼女のおかげで、ある程度人と言葉を交わせるようになった。クラスの皆には何度も「へま」やらかしてしまったために変な意識が働いてしまっていたが。
夏祭り。それに誘われたのは初めてだった。行こうとも思わなかった。人の多いにぎやかなところは苦手だったし、独りで行ってもつまらないから。
だから、とても楽しみにしていた。
「……あ」
頬に熱いものが流れた。それが伝ってあごから落ちる。一度流れ始めたそれは、もう止まらなかった。
「どうした? かわむ……」
先を行く杉村が振り返った。振り返って絶句する。
川村夏希は顔をゆがめるでもなく泣いていた。
大粒の涙をこぼし、無表情に泣いていた。
号泣するよりも、ずっと悲しい顔だ。杉村は思った。
香津美の亡骸を前にしても、涙しなかった彼女が今こうして泣いている事。後追って襲ってくる喪失感の恐怖に襲われていることを知った。
森川と沢渡も振り返った。
沢渡は哀しみがよみがえった。落ち着かせた心にまた波が襲ってくる。
森川もまた彼女の精神力を持ってしても夏希を直視できなかった。
「川村……」
触れば壊れそうな川村に声をかけたのは杉村だ。夏希と、香津美のクラスメイト。夏希と香津美の関係を知っていて、今一番彼女の痛みを知っている人間だった。
夏希は反射的に杉村を見た。
杉村も見ていられなくて声をかけたものの、次の言葉がでてこない。
「泣けよ。今泣いたって誰も責めないと思う」
自分でも不器用だと思う。できるだけ、優しく言う。
夏希が手を伸ばした。甘え方を知っている少女ならきっと彼の胸で泣いただろう。彼女は杉村のシャツのすそを掴んで、顔ゆがめて泣いた。
シャツのすそを掴む強さと、その距離感が今の彼女を現していた。
夜の闇が透けて見える硝子には、自らの顔が映し出されている。いや、それは自分の顔だろうか。彼女はわずかながらにそう思う。
一つ息をつく。
水上鏡子は木偶人形をその細い指の間に握り締めていた。
「私が、望んだこと」
小さく声に出して確認する。小刻みに揺れていた瞳が一つの場所に定まる。それは心の動きを代弁しているかのようだった。
明かりを落としたその部屋は暗く、窓から差し込む欠けた月が照らし出す光が唯一の色だった。
彼女は静かに振り返ると闇に沈む部屋の奥へと進んだ。
重厚な扉を開ける。その向こうにも闇は続いていて、そこにひとつ人影が浮かんでいた。それは車椅子に座ったまま、眠っているかのようだった。
「お父様……もうしばらくお待ちください……」
鏡子は扉の位置にたち、悲しそうに父を見た。
反応はない。
ため息をつくと彼女は扉をゆっくりと閉めた。ドアが閉まり視界が無くなっても彼女は父のいた方向を見つめつづけた。静寂の時間が続く。部屋に差し込んだ庭木の陰が風に揺れて不気味に揺らめいていた。
と、電子音が鳴る。
部屋に置かれた無機質なパソコンからの音だった。インターネットに繋ぎっぱなしにしてあるそれが、電子メールを受信した音だった。
鏡子はゆっくりとパソコンに向かい、マウスを動かしてモニタを点灯させる。
メールはエンジェルハイロゥからだった。それは新しい犠牲者を予知するに同意であった。メールに添付された写真が徐々に開いていく。
鏡子の顔が一瞬強張った。
「この子……」
やや焦点がぼけ、斜めからの角度の写真だったが十分に顔を判別することが出来た。それは川村夏希、少し前に学校の演習室で会話をした後輩だった。
「『木霊』……どうして……」
彼女は苦しげに闇の中でうめいた。握り締めた木偶人形が震えていた。
