変哲もない勉強机の上にはノートパソコンが一台。部屋には所狭しと本棚が並び、無数の本が並んでいる。その所々にはぬいぐるみが飾りの様においてあり、そこが女の子の部屋としてふさわしい雰囲気を保っていた。
時計は深夜零時を回っていて、窓の外は夜の静寂に包まれつつある。
部屋にはその部屋の主がいて、パソコンをつけていた。
部屋の照明を落とし、ノートパソコンの液晶ディスプレイが妖しい光を提供している。ネットワークを繋げたそれは、寝静まる深夜こそが活動の主流の様に、この時間最も回線は込み合う。人々はそこに情報や娯楽、コミュニケーションを求めて回線を貼る。まさしくそこは眠らない夜、だった。
と、パソコンの前でぼんやりとしていた少女は、突然開いたウィンドウにすばやく反応した。まるで待ち構えていたかのようだった。
『ねえ、マリア。今週の日曜はヒマ?』
ウィンドウはメッセージを表示した。マリアとは彼女のネットワーク上の名前だった。その名前に深い理由はない。気が向いたらあっさり変えてもいいと思う。相手は何度か見たことのある名前の表示。彼女は用件はすぐに判った。
『特に予定はないよ』
少女は慣れた手つきでキーボードの上をその細い指を走らせた。
『よかった。じゃあ、しない?』
ストレートな要求。だが、むしろそのほうが彼女にとっては気が楽で、かつ扱い易かった。かすかに微笑んで返信を打つ。
『OK。で、いくらだす?』
『うーん。今給料日前でさあ』
少女はそのやり取りにため息をついた。
『一本でどう?』
それは諭吉が一枚分ということだ。
少女はしばらく返信を控えた。表情を変えなかったが、相手がじれて焦るのを楽しんでいた。彼女はその商談に、どんな値段でも断る気は初めからなかった。
それたとえゼロだとしても。
『いいよ』
『じゃあ、日曜の夕方五時に渋谷のいつものところで』
メッセージの返信は早かった。待ち構えていたのだろう。それだけで彼女は面白くなる。
「あなたが出す金額は、私の価値であり、イコールあなたの価値でもあるのよ?」
それはキーボードには打たず、彼女は口に出して言った。
と、別のウィンドウが立ち上がって、そこにもメッセージが流れる。
『マリア! 日曜開いてる?』
少女は右手の中指で机を何度も叩いた。一人目が見つかればいい。二人目以降はただ鬱陶しいだけ。もしこれが逆の順番ならば、その立場は入れ替わるだろう。たとえどれほどの値段を積もうが、彼女にとって二人目は二人目だった。
『ごめんね、用が出来ちゃった』
簡単に断る。相手の方も仕方なしに諦めてくれた。しつこい男は嫌いだった。そういう男は客に持つと苦労する。だから、初めから相手にしない。そのウィンドウを閉じてから初めの男に返信を打った。
『じゃあいつものところでね』
少女は目を細めて笑った。まだ幼い顔だった。
そのウィンドウも閉じる。もう今日はコミュニケーションは終りだ。長話は必要ないし、余計な情報も要らない。
いつもの様にお気に入りのサイトを回り、そこからリンクをたどって眠くなるまで新しい場所を回る。そうやって、いくつもお気に入りを増やしてきた。
と、彼女の目に付くサイトへ行き着く。
「エンジェルハイロゥ……」
彼女はマウスを滑らかに動かした。
昨日無茶をした痛みは昨夜アイシングを施し、痛み止めを飲んで散らしている。炎天下の中それはルーズソックスに包まれていた。
左足を見つめる。ちょうど三年前の今ごろだ。
中学の空手全国大会の準決勝、沢渡は無理な体制で左足に体重がかかり左足の靭帯を伸ばした。それを犠牲にして準決勝の勝利を手に入れた。決勝はただ、立つことすらままならないのに彼女は出場を強行した。結果は見えていた。試合開始後すぐに勝負は決まる。沢渡は負けた。そして無理を強いられた左足は再起不能に近い重傷を負う。
三度の手術と驚異的な回復力を持って沢渡の左足は回復していく。空手部に復帰する事はなかったが、生来の明るさでその挫折と、手術のあととわずかに歪んで見える足首を靭帯をルーズソックスに隠した。
結局その傷からは彼女は立ち直れなかった。記憶に残る痛みを逃げ出すことしかでしか解決できなかった。普通の運動も空手も特に問題がなかったぐらいに回復はしていたが、傷の左足に体重がかかると彼女は激痛を感じた。彼女の記憶が痛覚を刺激するのだ。それを彼女はついに克服できなかった。
彼女は待ち合わせの人物を探した。日曜の昼下がりの駅前は人で混みあっている。
「ごめーん、遅れた」
明るく、それがなかったように振舞う。それは彼女逃げだった。
「五分遅れ。沢渡が遅れるなんて珍しいほうだね。珍しいといえば、沢渡のほうでデートに誘ってくるコトだけど」
「デートじゃない、相談。誰がデートよ。オタク!」
沢渡の待ち合わせの相手はクラスメートの小田桐拓郎だった。愛称は「オタク」小田桐の「お」と拓郎の「たく」で「オタク」である。容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能であるのだが、さまざまなジャンルに精通しその知識を持っているためにその名がついたわけだ。そのあだ名で呼ばれて特に不平を漏らすことなく受け入れているのも彼の特異な点のひとつだ。
「ちぇ。まあいいけど、それで相談って?」
「あんたオカルト詳しいよね……って、暑いところで長話もなんだし入らない?」
沢渡は通りを挟んだ先のファーストフードの店を指差した。炎天下の午後気温は三十度を軽く越している。小田桐はやわらかい髪をかきあげて、すぐに賛成した。
沢渡が先に歩き出す。昨夜、彼女は後輩を失った。永遠にだ。その喪失感ともしかしたら助けられたかもしれないと言う後悔が、昨夜の彼女を眠らせなかった。ただ、失ったものの傷跡を左足と同じようにそのままにしておきたくはなかった。そのままにしておけば、左足と同じように何時までもうずくことになることを彼女は知っているのだ。
エアコンのよく効いた店内に入った二人はシェイクを頼んで席に落ち着く。
「で?」
小田桐は一口シェイクを飲み込んで問い掛けた。
沢渡はしばらくどうやって繰り出そうか悩んだ挙句、彼女らしくストレートに伝えることにした。
「昨日、後輩が殺された」
「へぇ、そりゃ穏やかじゃないね」
小田桐は一瞬、目を見開いたが取り乱すことなく応えた。物事の大小に捕らわれず、それでいて軽視しているわけでもない彼の態度は、彼の特異点のひとつでもある。
「殺された、オカルト……それは呪いかなんか、ってわけ?」
「うーん、私にはよくわからないけど、多分大きく間違ってないと思う」
「ふむ。わかった。悪いけど詳しく話してくれないかな? その時の状況と、何故それがオカルト絡みだと思うかってこと」
小田桐は真剣な面持ちで言った。普通ならありえない話にも笑い飛ばしたり、決め付けたりしない。だからこそ沢渡は彼に相談を持ちかけたのだ。彼は相手の真剣さと冗談を汲み取れる人間だった。
「うん」
沢渡は昨夜の出来事から伝え始めた。記憶には鮮明に焼きついている。そしてエンジェルハイロゥについて聞いた話と木偶人形と犠牲者の関係。一斉に動き出したマネキン……
全てを話し終えたところで沢渡は青い顔をして、一つ身震いをした。効きすぎのエアコンのせいではない。
「そうだな」
それまで黙って沢渡の言葉を聞きつづけていた小田桐は、息を吐き出すように声を出して腕組みをした。沢渡はテーブルに視線を落としていたが、小田桐が心配そうな視線を向けていることに気がついて顔を上げた。当然、昨日のことから抜けきれていない。沈んだ顔になるのも無理もないことだ。沢渡は心配そうな小田桐の視線で少し落ち着くことが出来た。
「木霊、って線かもしれない」
「こだま?」
「ああ、古い木に宿っていると言われる霊のことだよ。割と日本人には身近な存在なんだ。神社とかって自然信仰からはじまってるところが多い。山や海、湖、滝などと同様、古い樹木も神木として祀られている神社も少なくない」
沢渡は難しい顔をした。その顔に小田桐は苦笑して説明を続けた。
「それにプラス、木偶人形や動き出したマネキンたち……木霊が宿っている木を元にそれらの人形を作り出したとしたら、その人形たちにも霊力が宿ってもおかしくないんじゃないかな? それに人形は『人の形』と書く。名前のとおり、人の形をしてるわけだけど、総じてそういうものには霊魂は宿りやすい」
小田桐はそこで息をついた。
「ほら、人形やぬいぐるみとかに霊が取り付くその手の話はよくあるだろ?」
沢渡もそのあたりの話は聞いたことのある話だ。小田桐は「そんなことがありえるなら、ね」と付け加えた。
「あれ? 小田桐じゃん。ひさしぶりー。なになに? デート?」
突然明るい声が二人の間に飛び込んできた。
驚いた二人が声をのしたほうをみると、そこには二人の少女が並んでいた。
一人は白いノースリーブのシャツと白いスリムパンツの沢渡らと同世代の少女で、ショート気味の髪に目鼻立ちのはっきりした少女で、背が高く身体のラインも整っている。沢渡はこの少女をどこかで見たような記憶があった。
もう一人はさらに目をひく少女だった。背は低く顔立ちも幼い。中学生ぐらいに見える。柔らかな栗色の髪をツインテールに流したスタイルが余計そう印象付ける。目をひくのは服装で、この炎天下の中、長袖の黒のワンピースである。顔立ちは整っているが、その季節感のない服装と、幼い顔にアンバランスな化粧。それは少女から本来あるべきみずみずしい生命力を奪い取り、どこか人形のような無機質さを感じさせた。
「だれ?」
話の腰を思い切り折られた沢渡は不機嫌そうな顔で小田桐をにらんだ。
「ええと、中学の時の同級生の藤沢瞳。こっちは今の俺のクラスメートで沢渡陽子。で、そっちの子は俺も知らない」
小田桐はやれやれと言った表情で簡単な紹介をした。
「うん、ほら霧依、自己紹介」
小田桐の中学の同級生という瞳は、後ろにいた少女を前に押して肩を叩いた。積極的な瞳と霧依と呼ばれた少女は対照的に内向的な雰囲気をもっていた。
「はじめまして。神崎霧依です」
その少女は雰囲気とは裏腹にはっきりとした口調で名乗った。
「この子私の従姉妹なの。ね、混んでるしここいいかな?」
瞳はそう言うか言わないかすでに小田桐の隣に座っている。
「おいおい……」
小田桐はうろたえながらも文句の一つでも言いたかったがもう遅かった。
霧依のほうはトレイを持ったまま、沢渡をじっと見つめた。沢渡はその視線を受けてむずがゆいような感覚に陥った。
「いいよ、座っても」
答えはそれしか出なかった。
霧依は微笑んで沢渡の横に腰掛けた。どこか薄っぺらと言うか表面だけの愛想を浮かべているような感じだと沢渡は思った。
「いいよ、別に。お話は続けて」
ポテトを加えながら瞳がおどけた。
「あのなぁ……そんなわけには行かないだろ?」
「あら、そういう話してたわけ?」
瞳は含みのある笑いを浮かべて小田桐の顔を覗き込む。小田桐は疲れたような顔をしてため息をついた。
「そんなんじゃないけど……そうね、多分普通の人には信じられないような話だから」
沢渡が助け舟を出した。そういう沢渡ですら未だに全てを飲み込めたわけではないのだ。
「へえ……聞いていい話なら聞かせてよ。職業柄不思議な話は好き」
「職業柄?」
沢渡の質問には小田桐が答えた。
「ああ、藤沢はアイドルなんだ。脚本とかもやってるし」
「アイドルじゃない。俳優、役者なの。何処の世の中に脚本書いてるアイドルがいるのよ」
瞳が小田桐の答えに鋭くつっこみを入れた。
「いるかもしれないじゃないか。それにやってる仕事はアイドルと変らない……」
「うるさい。やりたいのは演劇なの、舞台なの。脚本も」
小田桐と瞳がそうやりあっているのを沢渡はじっと見つめていた。その視線に気づいた瞳が不思議そうに問い掛けた。
「どうしたの? そんなにめずらしい?」
「ううん、いや、珍しいと言えば珍しいかもだけど……その、どっかで見たことあるなー思ったら、きっとテレビだ」
「え?」
瞳が驚いた顔で沢渡を見た。その瞳には期待の光がともって輝いている。
「たしかクツか何かのCMだったと思うんだけど、一度くらいしかみてなくて」
「それよ! すごい! あれ流れた本数少なくてさ、しかも深夜枠だったら……やったあ、あれ見てる人がいたんだー。すごーい、なんかうれしい。あ、でも今は仕事は休止中なんだ」
「どうして?」
「大学受験」
あっさりと答えた瞳に沢渡は面食らった。驚いている彼女を見て瞳はにこやかに笑う。「保険よ、保険。いまはそりゃ役者とか演劇とかに興味あってそれでがんばろう、って思うけど、ニ、三年たったら今と違うものに興味持ってるかもしれない。だったら、大学生になっておいたほうが有利かなあ、と」
淡々と言う瞳に沢渡は呆気に取られた。だが、彼女はそういいながらも今やりたいことに一所懸命なのだ。それがこの先同じかどうかはわからない。一緒ならば同じように情熱を傾けるだろうし、新しいものが見つかればそれに情熱を傾けるに違いない。
沢渡は自分になくしてしまったものを彼女に感じた。左足の傷は彼女から真から情熱を注ぐことを奪ってしまっていたからだった。沢渡は瞳をうらやましく見つめた。
「瞳、私そろそろ時間」
随分時間が経っていた。トレイの上はもう空の紙コップと丸められた包み紙が載っているだけだった。霧依はそうつぶやいて立ち上がった。
「え? 今日何か用事?」
「うん……これからは『マリア』の時間」
霧依の言葉は沢渡や小田桐には要領を得ず、二人は小首をかしげた。だが、瞳はその言葉の意味を理解して眉をひそめた。『マリア』は霧依が持っている着せ替え人形の洋服の一つだ。男にその幼い身体を売りに行くための洋服。『マリア』でいる限り、霧依は傷つかない。もしかすると『霧依』も彼女の洋服の一つなのかもしれない。『マリア』では触法行為だし、道徳的に認められない存在だから、社会的優等生として『霧依』は必要不可欠なのだ。
「あの……沢渡さん。私、ここにはいるとき立ち聞きしちゃったんです。そのエンジェルハイロゥの人形、私も持ってるんです」
「え?」
異口同音、三人の声が重なる。
「でも、大丈夫ですよ。怖くはないですから」
霧依はトレイを片付けると颯爽とした足取りでその場を去って行った。
