「そう、やっぱり」
森川は腕を組み、小さくため息をついた。少し苛ついているようにも見えた。俺は森川を見つめた。形のよい眉が少しだけ真中によっていた。
森川は俺と会ってから俺にそういう何か感づいていたのかもしれない。少なくともも森川は超常的な世界に身をおいている。俺は理論を越えたところで彼女は俺を理解したんではないかと思った。
「何を、見たの?」
森川のトーンが落ちた。きっと俺は不吉な顔をしてしまったのだろう。俺は森川から視線を逸らした。失敗だった。俺はごまかすタイミングを失った。
「教えて」
感情のこもらないその声は、覚悟すら感じる。俺は息苦しくなった。
俺も覚悟を決めた。見てしまったものが尋常ではなかったし、この森川なら話してもいいと思った。彼女も自分の一族のことを教えてくれた。ギヴアンドテイクではないが、俺は素直に未来視のことを話すことにした。
「血塗れの森川さんが見えた。そう、森川さんが言うように俺は未来が見える時がある......」
森川は沈黙した。視線だけが俺を突き刺していた。俺は何も答えられなかった。
「そう」
森川はそうつぶやいてクローゼットへ向った。そこで何かを探しているようだったが、すぐに俺の方へ戻ってきた。
「心配しないで。私は行くわ」
「え?」
横顔が厳しい。俺はぞくりとして見つめた。
「私が行かなきゃ、春日井君と千明ちゃんが殺される。それに、私は逃げる気なんてさらさらないわ」
「仇、とか言ってたよね。でも、森川さん、死ににいくつもりかよ?」
「あなた達を死なすよりはいいわ」
「何故? 俺、森川さんに会ってそう日にちも経ってない。そんな義理されるいわれもない。何でそんなことができるんだ。それにアイツは普通じゃない。その......草薙が吸血鬼なって、すごい力をもっていたんだ。それでも、全然ダメだった」
俺は森川を止めようとしていた。当然と言えば当然かもしれない。自殺をしに行くようなものだった。たとえ格闘技の世界チャンピオンでも人間では勝てない。
「そうね、私も良くわからない。でも、一族以外で......いえ、一族も含んでこんなに自然におしゃべりができたのは初めてだわ。そんな人を護れるなら......」
かすかに微笑んで俺を見る。正面から綺麗な森川の顔を見て、迂闊にも俺は思わず赤面し、視線を逸らしてしまった。どくん、と一つ胸が鳴った。
「勝算はあるのか?」
「......ええ」
一呼吸置き、彼女は答えた。白い手のひらを開く。一つのカプセルがあった。
「薬?」
「正確には毒薬。これを飲めば二三日で確実に死ねる......たとえ吸血鬼でもね」
森川の顔は穏やかだ。教室やさっきまでとは明らかに雰囲気が違った。
「それを奴に飲ませるのか? でもどうやって?」
「ちがうわ、私が飲むの」
「え?」
「それでお願いがあるの。三日後、黒川に会う時......春日井君の血を飲ませて」
森川が俺の顔を覗き込んできた。髪がわずかに顔にかかっていた。黒い瞳が俺を貫いていた。
「森川さんも吸血鬼なのか」
「言わなかったかな? 私は魔物の遺伝子を含んでるって。森川家は、吸血鬼の因子を含んだ一族なの。だから吸血鬼狩りなんてことをやってる。人の血を飲めば、封印された吸血鬼の力が解放される......ただ、一度吸血鬼になってしまえば、その吸血衝動は押さえられるものではない」
森川は俺の目を見ながら語った。だが、その先に言葉は続いていない。
それでも俺は理解ができた。吸血鬼になった場合、きっと草薙と同じように人を襲わねば生きていけないのだろう。それは、吸血鬼狩りを行う森川の一族にとってみれば、元の木阿弥である。つまり、吸血鬼になった森川の一族を自らの手で狩らねばならない。その手間を省くのがこの薬というわけだ。
人間の手に負えない吸血鬼が現れた場合、自らも吸血鬼となり、敵を滅ぼしたあと、自らも死ぬ。
「兄は黒川に挑んで死んだ。本来なら、その時に私がこの薬を使い、吸血鬼となって黒川を仕留める手はずだったの。兄は......それを認めなかった。兄は独断で黒川に挑み、そして嬲り殺された。駆けつけた時にはもう虫の息だった......」
森川の手が俺の腕を握った。セーター越しに、彼女の震えが伝わってきた。彼女は表面的に感情をほとんど出さないが、感情のない人間ではないと、はっきりとわかった。
「結局、黒川には逃げられ、兄は死んだ......私に代わって、二年前の、これくらいの季節。私は事件の調査からこの街に吸血鬼が現れた可能性があること知って、この街にきた。吸血鬼を倒す事は私の一族の仕事だけど、もう一つ私には理由がある。兄の仇をとるため、という理由よ。奴はいつもこの手を使う。草薙さんのような下僕を作って、囮にして......」
懺悔のようなつぶやき。長い黒髪が下りて、俺からは表情が見えない。両肩が震えている。おそらく、彼女はこの懺悔のようないきさつを、おそらく誰にも話したことがなかったのだろう。彼女は兄の死を自分が殺したも同然に考えている。言いようによっては彼女が殺したとも言える。だから、彼女は相打ちになろうとも黒川を殺すことで贖罪しようとしているのだ。
それは間違っていると俺は思った。だが、震える彼女を目の前に俺はどうすることもできずにいた。あるいはここで彼女を抱きしめて慰めるのが良かったのかもしれない。
「なんて言っていいかわからない......けど、他に方法はないのか? 俺はこのまま森川さんがいなくなっちまうなんて......」
森川は一瞬顔を上げた。その瞳は潤んでいたような気がする。だが、すぐに彼女は背を向けた。細い肩が必要以上に頼りなく見える。このまま彼女は三日後に、と思うと切なくなった。
「ありがとう......春日井君。このことを部外者に話したのは初めてだったし、一族のものにとってはそれが当たり前だった。でも、いいの。本来なら二年前に私は死んでいるはずだった。兄が犠牲になって、二年間生き延びただけ。でも、あなた達の命を助けるために生き延びたと思うなら、何も悔いはないわ」
歯切れのよい言葉。表情は見えない。声に少し明るい色が含まれるのは無理をしているからだ。
「ねえ......」
森川は背を向けたまま、言った。
「もう少し出会うのが早かったら、友達になれたかな?」
「......好きだよ」
俺は心に浮かんだ言葉をそのまま口にした。
森川ははじかれたように振り向いた。涙がこぼれていたが、表情は驚愕のままだった。おそらく俺も自分の言葉に驚いていた。草薙に、どうしてもいえなかったキーワード。それを俺は森川にためらうことなく使った。
彼女の話を聞いて、切なくなっていた。彼女を護ってやりたい、死と言う運命から逃してやりたい。その思いは嘘ではなく、それが重なり合って一つの言葉になっていた。
俺は俺や死人のために森川に傷ついてほしくなかった。死んでほしくなかった。
息が白い。今夜は空が高く、凍りつくような冷気が降り注いでいる。
俺と森川は公園にきていた。例の草薙と黒川に遭遇した場所だ。コンクリート舗装の上に血痕が残っている。だが、首を折られた草薙の姿はない。発見者が通報したなら今ごろ騒ぎになっているはずだ。つまり、草薙は生きていて、自力でこの場から移動したのだろう。
「吸血鬼は月の夜の下なら、無限に近い治癒能力を持つわ。文字通り、『懲らしめられた』のね、草薙さんは」
森川は血痕を確かめながら言った。
「そんな奴相手にどうするつもりだよ?」
「この刀、小月は対吸血鬼用に清められた刀なの。これで斬れば吸血鬼と言えど、確実に仕留めることもできる......ほら、ホラー映画とかにもあるでしょ。吸血鬼には銀の弾丸なら効く、とか」
森川はバックから鞘に収まった刀を覗かせた。たしかにグールとか言う俺達を襲った奴を森川はその刀で切り、グールは一瞬にして灰になった。
「そろそろ戻りましょう。春日井君も戻ったほうがいいわ。千明ちゃん、目がさめてあなたがいなかったら、きっと怖いと思う」
「ん、ああ」
俺はこの間、夜中に千明が泣き出したことを思い出した。
「また、明日会いましょう」
視線に気が付く。森川は俺をずっと見つめていた。
「どうした?」
「え? ん、なんでもない」
森川は踵を返した。公園から俺と彼女の家は反対方向だった。
部屋に戻る。明かりはついておらず、千明は目覚めていないようだった。少しほっとしてリビングの明かりをつける。視界が明るくなるとソファで丸くなっている千明がいた。
確か俺は千明をベットに寝かせたはずだった。
「千明?」
千明は動かない。クッションを膝で抱えたまま、ぴくりとも動かない。
「ばか」
「......え?」
「ばか。何処行ってたのよ」
声が上ずっている。俺はソファにゆっくりと近寄った。手の届く範囲に入ると飛び跳ねるように千明が振り向いた。
顔がぐしゃぐしゃだった。泣きはらしたのだろう、目は真っ赤ではれ上がっていた。涙で荒れた頬もそのままだ。
あれから千明は目覚め、俺を探したのだろう。だが、俺はいなくて、心細かったのだ。ただでさえ「失うこと」におびえている妹だ。あんな目に遭った後、俺の姿が見えないことが酷く恐ろしかったのだろう。
「千明......ごめん」
俺は千明の頭を抱いた。ソファに座った千明の頭はちょうど俺の胸のあたりに来る。千明は俺の胸に顔を擦り付けていた。
そのままの格好で千明が眠ったあとのことをすべて話した。
おいそれと人に話す事ではないと俺は思っていたが、千明は当事者でありそして俺の妹だった。
「へー、お兄ちゃんって森川先輩好きだったんだ」
思わずついでに口を滑らした俺は赤面した。だが、いつもの千明に戻っていることをそれで確認する。
「茶化すなよ」
「でもさ」
千明の声のトーンが落ちる。
「このまま、森川先輩死なせるの?」
千明は死と言うものがリアルだ。俺達の世代では死と言うものにあまりリアリティがない。ほとんどその場面に出くわすことがないからだ。だが、千明は親友を死という形で失った。その傷はまだ癒えていない。いや、抜けた穴はふさがらないだろう。
「死なせたたくないな......でもどうすれば......」
「逃げ出せば?」
千明は簡単に過激なことを言った。
「逃げ出せばいいじゃない。この街から、その黒川って奴から。そうすれば、先輩死ななくてすむ」
「千明......簡単に言うなよ。森川さんは兄の仇を追って奴を探しているんだ。だから逃げ出すなんて事は......」
「とめて! 止めさせて」
千明は叫んだ。俺の目を見て。
「失うのは嫌だよ。もう誰も失いたくないよ。お兄ちゃんも、先輩も......みんな。そんなの失うくらいなら、他の全部捨てても私はかまわない!」
