まもなく朝のホームルームが始まろうと言う教室はざわめきにあふれ返っている。その中で俺は黒髪の美少年と向かい合わせに座っていた。流れるような長めの黒髪、白い肌、はっきりとした目鼻立ち、少しだけ優美な感じのする唇。それを絶妙にちりばめた卵形の顔。下手な男性アイドルよりずっと美形だった。親友の小田桐拓郎である。
「そりゃ裕さん。なんかおかしいぜ」
裕さん、これは拓郎独特の俺の呼び方だった。俺の名前は春日井裕也。だからおかしな呼び名ではなかったが、不思議とこの呼び方で呼ぶのは拓郎一人だった。
この小田桐拓郎と言う男、校内でも屈指の、いや俺の認識では校内一の美少年である。それでいて成績優秀、スポーツ万能だからたまらない。神様はこの男に二物どころかでたらめすぎる才能を与えたのではないだろうか? そんな彼を校内の女子が放っておくはずはない。拓郎には追っかけ軍団はできるわ、休み時間にはやたら来客がくるわでとんでもないことかぎりない。
だが、拓郎の通り名は「オタク」であった。おだぎりたくろうの「お」と「たく」をつけたものだが、彼の内面をあらわして事足りた。拓郎は無類のアニメ・ゲーム好きから始まって、ミリタリ・鉄道に至るまであるとあらゆることに精通していた。しかしそれが広まったとて、拓郎の人気は衰えなかった。要するに女子にとって男は顔だと言う事か。
「裕さん、夢ってやつはその見る人の脳みそに詰まっている情報が、断片的に引き出されて作られるもんなんだ。そりゃ多少は想像力から生まれてくるものもあるかも知れないけどな」
俺はその拓郎に昨夜の夢とテレビで見た光景が一致した事を相談した。拓郎は他の友達に相談できない事を相談できる数少ない相手だった。そして、拓郎はこのようなばかげた事にも真剣に答えてくれる極めて稀な性格の持ち主だったからだった。
「本当にそこに行った事はねぇの?」
「ああ、確かにないし、確かに夢で見た場所だった」
それは確かだった。あの夢はリアルに俺の脳裏に焼きついていた。それが風化しないうちにあのテレビのニュースを見たのだ。あの殺人現場は俺が夢で見た場所であり、俺が今まで知らない場所だった。
「ふうん」
拓郎はあごに手をあてて考え込むような表情をした。
拓郎はその外見からは考えられないほどいい奴だ。こんな事を他の奴らに持ちかけたところで笑われるか、適当な答えであしらわれるのがオチだ。第一、俺が誰かにこんな事を相談されても適当な事しかいえなかったに違いない。
だが、チャイムが鳴ってホームルームの時間がきた事を俺たちに伝えた。
「ああ、裕さん。この事はまた後でな」
拓郎は立ち上がって人懐っこそうな笑みを浮かべて自分の席へ戻った。他の生徒たちも各々自分の席へ座っていく。
俺はもうひとつの重要な事を思い出して視線を滑らした。
その目的地は草薙真奈美の席だった。指輪の事、昨日の事。話さなければならない事は想像ができないくらいあった。
だが、その場所には草薙の姿はなかった。一人分、ぽっかりと空いたスペース。草薙の席は空席だった。
俺は落胆すると同時に胸をなでおろす気持ちだった。情けないことに第一声をどうかけて良いか分からなかった。しかし、このことを拓郎に相談しなかったのは俺の自尊心というよりは羞恥心のなせる業だった。
結局、そのあと拓郎とゆっくりと話をする時間を取ることはできなかった。拓郎は追っかけ軍団の相手でまともな休み時間をとれたためしはなかったからだった。それで彼女の一人もいないのだから不思議なものだ。彼女ができたといえば、少しはその人数も減るのではないかと考えるのだが、それは俺の浅知恵という奴かもしれない。拓郎が特定の女子と付き合おうものなら、その女子にどんな人為的不幸が襲い掛かるか分かったものではない。
拓郎の事だからその辺のことを考えて彼女を作らないのかもしれない。もっとも、気さくな割には自分のことをあまり話さない奴の事だから本心はどうなのか判ったものではないが。
一方、草薙のほうは今日は結局休みだった。まるで肩透かしを食らったような感じだった。
結局草薙の事を考えてみても、俺は草薙に関して対した印象をもっていなかったらしく、彼女についての記憶は曖昧かつ希薄なものでしかなかった。
そうしてあれこれ考えているうちに時間は勝手に進んでしまう。いつの間にか放課後になって教室の中はまばらな人影になっていた。
俺は部活動に入っていない。文化部なら入ってもいいような気もするが、運動部だけは嫌だった。別に運動神経がないわけじゃない。むしろクラスの中では標準より上のほうだとは思う。俺には運動部には入りたくない理由があった。
その理由とは俺の秘密の能力だった。
俺には未来を見る力があった。でも、予知とか予言とか大それたものではない。ほんの少し、そう時間にして数秒だが、俺には未来を見ることができた。残念な事にそれは自分の意思で見ることはできない。それは突発的に俺の視界の中に飛び込んでくる。
たかだか数秒の未来。しかしそれがスポーツだったら大きな力となってしまう。
その力がはじめて働いたのは小学生のときのミニバスだったと思う。相手チームのエース級の選手を俺は難なく、それも何度も止めた。俺がうまかったわけじゃない。俺にはその相手の動きが先に分かってしまったからだ。
所詮は小学生だ。俺はいい気になって「俺には未来が見えるんだ」と自慢しまくった。チームメートたちは半信半疑で有頂天の俺を試した。だが、その時には俺の未来視はまったく働かず、チームメートたちは俺をうそつき呼ばわりをしていじめた。結局俺はそのチームを辞めることになった。
小学生の時の話だが、俺の中ではトラウマとなって残っていた。
いまなら、その能力を隠して運動部の活動をする事もできるだろう。言わなければ分からない能力だ。多少不思議がられてもバレることはない。
しかし、結果のわかってしまう勝負事に俺は熱中する事はできなかった。
俺はこの能力で良い思いをした事はない。
そしてこの能力を知っているのは俺と妹の千明だけだった。逆に千明は突発的にだが過去の出来事を見ることがあるらしい。母親はそれについて何も知らない様子だったから、俺たちのような不思議な能力は持っていないのかもしれない。
拓郎の話を信じるならば、夢で見る光景は記憶の中から作り出されるものだという。だが、俺のような普通の人間なら見ることのできない未来を見れる人間はどうなのだろう? 見たことのない場所も未来に見た場所として記憶に乗せる事ができるのだろうか? それが夢に出てくる可能性もあるのだろうか?
だけど、俺は今までそんな夢を見たことはなかった。考えても答えなど出るわけもない問題に思わず考え込んでしまう。
俺はため息をついて席を立った。
ここにいてもどうしようもなかったからだ。
「あ、裕也! まだ帰ってなかったんだ」
廊下から良く通る声が飛んできた。声の主は幼馴染の沢渡陽子のものだった。ボーイッシュな短い髪と大きな目、そしてミニスカートから伸びた健康的な足が特徴的なクラスメートだ。
「ったく、真奈美になんて返事をしたの?」
沢渡は不機嫌そうだった。表情にメリハリがあるのも彼女の特徴のひとつだ。ちなみに草薙の手紙を俺に持ってきたのはこの沢渡だった。
「返事?」
「だって、真奈美、昨日裕也に告ったんでしょ?」
俺は即答できなかった。その代わり顔が紅潮した。それが自分自身でも良くわかったから余計に恥ずかしかった。
「はぁ、裕也ってわかりやすいよね」
「悪かったな」
「その様子じゃ、変な返事を返したわけじゃななさそうね」
沢渡はあきれたような声で言った。
「……返事をした、というかなんていうか、一方的だったよ、草薙は」
「一方的? なんだかよく分からないけど。とにかく、裕也が真奈美をふってそれがショックで休んだのかな、って思ったから」
「だったらどうするつもりだったんだ?」
「一発シメておこうかと思って」
「勘弁してくれよ」
俺は本気でそう思った。小柄でやや幼く見える沢渡だが、実は中学のとき全中空手で全国大会準優勝の成績を持っている。彼女はその事を自慢気に話したりはしないし、それを知っている同じ中学の人間も高校に入ってクラスがバラバラになってしまえば特に話題に上るような事もなかったので、その事を知っている人間は少ない。
沢渡は現在は空手部のマネージャーを勤めていた。
「じゃあ真奈美が休んだのは他の理由か……」
沢渡は妙に安心した顔でつぶやいた。何故、そんな顔になったのか俺には分からなかったが。
「で、裕也、付き合うの?」
「って言われてもなあ、『付き合って』といわれたわけじゃ、ないしな」
俺は言葉を濁した。正直、恋愛に疎い俺が草薙の言葉に対してどういった反応を示せばいいのか分からない。
「あー、はっきりしない男ね! ったく、真奈美の奴、こんな男のどこがいいんだか」
沢渡は半分怒ったような、半分あきれたような顔で見つめてきた。沢渡に見つめられて俺は気まずくなって視線をそらした。
そのあと沈黙が続いた。廊下から女子の笑い声が遠く聞こえる。沢渡はいつもはおしゃべりのくせに新しい話題を切り出そうとしなかった。
その沈黙を破ったのは俺の携帯だった。短くメロディがなった。メールを着信したのだ。俺は幸運とばかりに携帯を取り出してメールを開いた。
『やっぱり、今日は遅くなります。ご飯は適当に食べてね』
千明からだった。俺はますます憂鬱になってため息をついた。
「はい、コレ」
沢渡がメモ帳の切れ端を渡してきた。そこには十一桁の数字の羅列があった。
俺は沢渡の顔を見た。
「真奈美の携帯の番号。夜でもいいからかけなよ」
沢渡は微妙な顔だった。困ったような情けないような、それでいて口元は微笑んでいた。
「……サンキュな、沢渡」
俺は沢渡からその紙を受け取って教室を出た。
家に着く頃、空は紅く染まっていた。徐々に季節は進み、太陽が沈む時間は早くなっている。俺はマンションの玄関に入ろうとして立ち止まった。今日は千明の帰りが遅い為に家で夕食にありつけないからだ。きっと千明も外食してくるに違いないし、俺も家でカップラーメンをすするくらいなら、外で食べて帰ろうと考えた。
俺は商店街にある行きつけの定食屋へと足を進めた。
俺の家から商店街へ抜けるには大通りと裏道がある。裏道は一直線にその目的地へと向かっている最短ルートだ。俺は迷わずその道を選んだ。他に用事もなかったし、いつも通る道だったからだ。
俺は人通りの少ないその道を何気なく進んでいた。
ふと、その側道に目が行く。俺は立ち止まった。
俺の脳裏に記憶が鮮明によみがえってくる。
ここは俺が通った事のない道だ。この道が何処へつながっていくのか、俺は知らない。もちろん、ここに住んで長いわけだからどのあたりに出るか想像くらいはつく。たしかに俺はこの道を使った事はない。だが、俺はこの道のある場所を確実に知っている。
そう、ここはあの夢で見た場所につながる道だ。
俺は生唾を飲み込んだ。俺の知らない道の奥に俺が知っている場所がある。まるでトリックのような矛盾だ。俺はその道に足を踏み入れた。
しばらく進むと、閑散とした場所に黄色と黒のストライプのロープが張ってある場所があった。
夕日に紅く染められた場所は蒼い月の光に照らされたあの夢とは随分印象が違ったが、間違いなく俺が夢で見た場所だった。
閑散とした、冷たいコンクリートで視界が埋め尽くされる。風雨でボロボロになったパイプと使い道のない捨てられたドラム缶。俺は昨夜、ここで女性を殺した。夢の中で。
だが、それは現実だった。事実ここで一人の女性が昨夜のうちに殺され、死体となって発見された。あれは、夢ではなく現実だったのだろうか。
背筋を冷たいものが触れて行く。寒からぬ憶測。俺は夢遊病の殺人鬼なのだろうか……
