その羽を、その身を、その命さえも失う。何ゆえに彼らは闇の中に光を求めるのか。
燃え盛る炎にその身を灼かれ、本能という性ゆえにおろかに死んでいく。虫たちは、おろかに出来ている存在なのだ。
しかし、その業火がこの世で唯一の光だったとしたら。たとえその身を焦がし、燃え尽きようともその光に向って飛んでいく姿は、むしろ共感を得ることだろう。それがおろかだとしても、生を永らえて暗闇の中で狂って行くよりはいくらかましに違いない。
「闇払いの一族」そう銘打たれた一族がいる。その体内に人外の血を招き入れ、その力をもってして、超常たるモノ、魔を滅する宿命を受け入れた一族だ。
現代、それは同時にこの国の経済界を牛耳るほどの大財閥で、表裏の組織との繋がるも深い。
その嫡流を受け継いだものは現在のところ二名しか残っていない。「森川正孝」「森川恵理」。まだ二十歳にも満たないその兄妹が残されたのみだった。
森川家の平均寿命はきわめて短い。戦いの中で死んでいく者が多いこともその一因となるが、魔との戦いで命を落とさなかった者を限定しても、その平均寿命は三十歳をわずかに割る。主な死因は自殺と変死。天寿を全うした者は数えるほどしかいない。呪われた血族なのだ。
その理由は彼等の遺伝子にある。
魔に対抗する力を縁がため、彼らの血には魔の血、遺伝子が含まれている。
その遺伝子に含まれる力が、人間の身体という限界を嘲笑うかのように染み出してくるのだ。自らの体内に潜む闇が、徐々に心を蝕んでいく。理性が徐々に失われていく恐怖に、狂い、死を求める。
それは死が唯一の救いであるかのように。
人は暗闇の中に閉じ込められると、さして長い時間を必要とせず発狂するという。
それが外界ではなく、心の内側とて同じであろう。
死を求めるがゆえに光に自らの身を投げ出すのか、たとえその先が死であろうとも光へ身を投げ出すのか。
とにかく森川家の血は黒く澱んだ過去で覆われている。
八年前。
いつ頃か、屋敷の奥から甲高い少女の悲鳴が聞こえるようになった。歴史ある古く広い屋敷は灯りが全ての闇を払うことが出来ず、全体的に薄暗い。その屋敷の奥はさらに暗く沈んでいて、その奥から悲鳴が微かに届いてくる。
それは断続的に続き、時としてそれは夜が明けるまで続く。
屋敷の奥は二人の子供には立ち入ることを禁じられた場所だった。
暗闇の深淵から響いてくる少女の泣き叫ぶ声。七歳の恵理にとってそれは言い知れぬ恐怖でしかなかった。自室に閉じこもり、ベッド中にもぐりこんで、夜が明けるの待った。 とある、蒸し暑い夏の夜だった。
その日も同じように少女の悲鳴が闇から染み出してきていた。
一人に耐えられなかった恵理は兄の部屋に押しかけて泣いていた。
十歳の兄は、その悲鳴が何のものなのか、幼いなりに推測できていたのかもしれない。正孝は妹の方を優しく抱いて慰めていた。
と、しばらくの時間を置いて、彼はゆっくりと立ち上がった。
「にいさん?」
恵理は兄を見上げて声をかけた。
白いシャツを着た正孝は恵理に背中を向けると扉に向って歩き出した。その手には森川家に伝わる、魔を滅する霊刀「小月」が握られていた。
「恵理……泣くな。今から、悪魔を退治してくる」
背中を向けたまま、少年は静かに言った。
正孝は屋敷の奥の闇に向って駆け出した。
「ま、まって、にいさん」
恵理はいやな予感がして兄の後姿を追いかけた。だが、十歳の少年と七歳の少女の体力差は大きい。兄の白い背中が見る間に闇の中に消えていく。恵理は泣きながら、それでも消え行く兄の背中を追いかけた。
少女の悲鳴が近づいてくる。いや、それに近づいているのだ。
闇が濃くなると同時に瘴気が漂っているのを感じた。ここは人の住む世界と違う世界だと恵理は思った。
と、絶叫が闇の中に轟いた。それは今までの少女の甲高い声ではない。野太い男の大人の声だった。
恵理ははじかれたようにその声がした方向へ駆けた
それは薄闇の中の一室だった。
そこは他の場所よりも空気が重く濃い。
淀んだ湿り気を帯びた空気が開け放したドアから流れ出てきている。
恵理はその部屋を恐る恐る覗き込んだ。
白い少女の身体が横たわっている。ぐったりとした彼女は汗と涙と恵理のよくわからない液体で塗れていて、何も知らない少女の目からは、とても汚くみすぼらしく思えた。だが、夜な夜な聞こえてきた悲鳴の主は彼女のものだったのだろう。彼女の受けた行為は恵理にはわからなかったが、ひどく悲しく可哀想に思えた。
そして正孝はその部屋の中心にいた。少女のすぐ側だった。その彼の後ろには闇の中でも鮮やかな朱が小さな池を作っていた。
その朱は彼の白いシャツにも飛び火して所々に紅い斑点を作っていた。
「恵理……見たのか?」
正孝は入り口で柱に寄りかかって震えている恵理の姿を認めて、やや厳しい声で言った。
恵理はそれには首を横に振って答えた。それだけでもやっとの行為だった。膝の力が抜けて自分の体を支えるにも、柱に寄りかからねばままならない。
正孝はゆっくりと恵理の方に歩いた。
恵理はどうすることも出来ず、ただ、兄を待った。
正孝の手に握られた小月は剥き身で、本来白を帯びた銀色は赤い液体でぬらぬらと光っていた。
恵理はそれで正孝が何かを殺したことを悟った。
「恵理……悪魔は殺したよ。俺が恵理を守るから……だからもう泣くな」
正孝が歩くことで死角がかわる。恵理は紅い小さな池の中心に横たわるものを確認した。恵理の瞳孔が限界まで開く。震えが一段と大きくなって、崩れそうになる。やっとの思いで彼女は言葉を吐いた。
「とうさん……」
それは、かつて正孝と恵理の父であったモノだった。
深い緑のボディのジャガーの後部座席が開く。イギリス製の高級車だ。そこから降り立ったのは全国でも有名なフェイノール学院の中等部の制服に包まれた少女だった。
「恵理様……ここでよろしいのですか?」
「ええ。たまには外の空気に触れないと。夏ももう終わってしまうしね」
フェイノールの校舎はエアコンが完備されている。森川家の屋敷も同じだ。森川家の屋敷は駅までとても歩ける距離ではないので、登下校はもっぱら車でとなる。その中もエアコンで温度は快適にコントロールされているため、本当に外気の厚さを知る機会に彼女は恵まれていなかった。
「芹香、あとをお願いね」
恵理は髪をかきあげてドアを閉めた。残暑が木漏れ日から漏れて彼女を照らす。程よい暑さがわずかに彼女に汗を浮かばせる。それが彼女には気持ちが良かった。
運転手の女性、渡辺芹香は主人をほほえましく見ると車を車庫へと向わせた。
森川恵理。森川家の次子。幼い頃より帝王学を学び、その年齢に不相応な落ち着きと気品を持っているが、その実は多感な少女と変わりはない。
深い緑で覆われた森川家の敷地内を玄関へ向って歩く。木漏れ日から差す光は夏の残滓を十分に残しつつも、肌に触れていく風は秋の予感を忍ばせている。外門から玄関までの短い距離だが、恵理は季節の織り成す香りを楽しんだ。
と、門の外に背の高い青年が立っていた。厚みのある身体ではないが、無駄のない筋肉で覆われた肢体と、精悍な顔つきが獰猛な獣を連想させる男だった。
「黒川さん……」
黒川と呼ばれた男は恵理の姿を確認するとわずかに笑みを浮かべた。
「今日は訓練の日ですよ、お嬢様」
「ご苦労様です。すぐに地下の訓練場向います。黒川さんは先に」
「わかりました」
黒川は踵を返すと玄関と違う方向へ歩き始めた。その方向には屋敷の地下にある恵理のいう「訓練場」への入り口があった。訓練場といえば聞こえはいいが、打ちっぱなしのコンクリートで覆われたただの空間でしかない。深い緑の奥にそびえる年季と風格をもつ屋敷とはあまりに格差があった。
恵理は黒川の姿を見送ると屋敷の玄関を空けた。その美しい顔にわずかな厳しさを加えて。
「お帰りなさいませ、恵理様」
玄関を上がるとメイド服に身を包んだ女性が出迎えた。静かな物腰と冷たい目が印象的な美しい二十代前半の女性だ。その顔は芹香のものとまったくといっていいほど変らなかった。わずかに芹香よりも短い髪の毛がわずかな差違と言ってもいい。
「ただいま、可憐。兄さんは?」
「お帰りになっておられます」
彼女の名は可憐。芹香とは双子の姉に当たる。
瓜二つの容姿を持ちながら、必要以上の言葉をしゃべろうとしない可憐と、社交的で積極的に言葉を発する芹香とまったくの正反対の性格を持つ。
この双子の姉妹は恵理たち兄妹の父の葬儀が終わった直後に恵理たちの前に現れた。当時十三歳の二人は四人の姉弟になったようにこの森川家で過ごすようになった。物静かな可憐と、陽気な芹香の性格は当時から変らなかった。
恵理が中学にあがり、そして正孝が高校に上がった時、その双子の姉妹と森川の兄妹との関係ははっきりする。森川家に預けられたこの二人は、森川家に仕えるため、この屋敷に預けられたのだ。
恵理には芹香を、正孝には可憐を。二人はそれぞれ森川の使用人として主人に仕えるように二人は育ったのだ。
その件に関して二人の口から不平や不満がでたことはない。
少なくとも恵理にはその二人を知らない。感情を露にする芹香も、嘘をつくことすら出来なさそうな可憐も、この境遇をむしろ嬉々と受け入れているようだった。
恵理がリビングに進むと兄の正孝がくつろいでいた。大財閥森川家の現当主の彼だが、実際にする行う仕事はまったくといっていいほどない。月に一度、財閥の各方面の幹部が集まって会議を開くのだが、一高校生の彼が、何かいう事もなくただ座っているだけだ。
そして恵理にとっては唯一の肉親である。
母は恵理を産んですぐに身体を患ってこの世を去った。父親は前述のとおり、正孝が殺した。成長し、事の次第を理解した恵理は、あの時既に父は身体に流れる森川の血に犯され、人としての理性を失っていたのかもしれない。それと同時に兄は、その人ならざるものを払う、「闇払い」の一族としての特性を目覚めさせていたのかもしれない。
そして、おそらくあの闇の中で悲鳴をあげていたのは芹香か可憐、どちらかなのだ。
「ただいま帰りました」
「おかえり、恵理」
正孝は立ち上がって微笑みながら妹を迎えた。妹がこの兄にているのか、兄がこの妹に似ているのか、彼もまた類稀なる容姿だった。
「どうしたんだ? すわれよ」
「いえ、今日は訓練の日なので」
正孝は落胆気味にため息をついた。正孝も恵理も、屋敷の外では「森川家」の子息、という迫害に似た特別視を避けられない。ゆえに兄妹同士の会話は貴重で欠かせないものだった。正孝は妹によく目をかけていたし、恵理は兄を敬愛していた。
「しょうがないな、まあ無理はするなよ」
森川家は「闇払い」の一族で、戦いに身をおくという宿命からは逃れることが出来ない。だが、財閥の当主が命を落とすわけには行かない。その長子が財閥を継ぐため、戦いにでるのは次子以降である。そしてこの代の場合は恵理だ。そこに男女の区別はない。遺伝子に含まれた特殊能力に男女の差違はないからだ。
「恵理……すまんな、お前にばかり無茶をやらせて」
正孝は恵理の髪を撫でた。黒く美しい髪を漉く。軽く指の先が形のいい頬に触れる。濡れたような輝きを潜める黒い瞳が恵理の顔を直視している。
「兄さん?」
恵理は感触の微妙さと、兄の奇妙な行動に身動ぎをした。
「兄さんは兄さんのお役目を……私には私の役目を……そうでしょう?」
「……そうだな」
正孝は曖昧に頷くと、リビングをゆっくりと出た。
恵理はその兄の姿を見送りながら、胸の中で反芻する不安を押し殺していた。ここのところ兄はひどく情緒不安定になることが多かった。今の行動もそうだろう。
それは子供のときには理解できなかった、死ぬ直前までの父親の行動にも似ている気がする。兄はもしかしたら父の様に血にその理性を蝕まれているのではないだろうか? 十才のときにその特殊能力が目覚めていたとしたら。ありえないことではない。
空調からではない冷たさが恵理の背筋を駆けて行った。
